徳岡 京都だけよりも、グループ5社でやる方が費用の面でも軽減できますし、僕自身としてはこれからはそうあるべきだと信じていましたので、相談したんですが「まだ、いいよ」ということで、まずうちだけ…。
◆-でも、京都吉兆の中には根付きつつあるのでしょうね。
徳岡 それもまだまだ孤軍奮闘ですよ。1000名以上の対応を 求人対応ソフトを使い、なんとかほぼ一人でやってますから。 当然、説明会や選考、の対応は、役員を初め、全社員に手伝ってもらいながら 徐々に 確立した物に成りつつあります。 ただ、こうした新しい取り組みは、直接数字には結び付けづらい。去年、ようやく少しは数字に表れてきたのかなとは思います。グループ各社の中からも、時々問い合わせが来ることも在ります。
◆-ワインにも積極的ですね。
徳岡 本格的にメニューを出したのは、1990年からでしょうか。いずれは、ラベルもこだわり、瓶も僕のデザインで、葡萄も一つずつ僕が選んで、僕が独自にワインを造るのが夢なんです。それも、世界に通用する品質のものをね。他に、バカラさんとも親しくさせてもらっていて、バカラさんと「吉兆」の刻印が入った、うち用のグラスも作ってもらっています。そのオーナー家が日本料理に合う素晴らしい「ティタンジェ・コート・ド・シャンパーニュ」というシャンパンを造っていまして、本国まで押し掛けて、「吉兆」の「プライベート・キュベ」を造くってくださいと迫ったこともあります。結局はダメでしたけど、他にも、モエ・エ・シャンドンさんやクリュッグさんに行ったり…。無茶苦茶やってますよね(笑)。そのおかげで今も日本とフランスのタイアップ企画の時には声を掛けて頂いております。
◆-「吉兆」には元来、改革の精神が流れていたわけですね。
徳岡 前世代の方に見られるのは、自分の世界に立ち入られるのは嫌だという発想です。一部を否定される事で、自分の歩んできた輝かしい高度成長期時代の人生、全部を否定されるように思うんでしょう。だから、変えたくない。そこで、自分の存在がなくなってしまう恐怖に駆られる。そうじゃないんですよね、本当は。いいところも大切な事もたくさん持ってらっしゃる。それは若い人にもいえる事でお互いが助け合うことで育んでいけると思います。だから、残す勇気と変える勇気、両方を持たないと、健全な地球の未来はないんでしょうね。 |