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主 人 日本料理を作っている料理人で勲章誰ももろてへん。フランス料理の人いっぱいもろとるのに。
編 集 これは問題ありですね。なぜなんでしよう。
主 人 日本料理屋さんいうたら芸妓さんがあって、享楽のためという意識が政治家にあるからで……、うちのおやじ(故・湯木真一氏)だけでっせ、勲章もろたの。辻留の辻喜一さんは出版でええ本出したいうてもろたんです。フランス料理の場合、フランス国から、我が国の料理を広めてくれたいうて、年に何十人も勲章もらいますねん。ほんなら、日本の政府は外国の勲章もろた言うて、また勲章出しますねん。肝心の日本料理、こんな文化的な物やってんのに。けと、器や漆器を作る人は勲章もうてます。人間国宝にもなってます。それをプロデュースする料理屋さんには全くない。不思議やねえ。
編 集 腹立たしい話ですね。食は、つまり日本料理は文化だということがわかってない。
まめ鶴 ほんまどすね。
編 集 芸妓さんの中で人間国宝は居らっしやらないんでしよ?
まめ鶴 うちのお師匠さん(先代 井上八千代さん)、家元は人間国宝どす。九十七でお元気どすけど。

主 人 これは世界の歴史に無い事ですが、昭和天皇がご在位六十年の時、そのお祝いを今の天皇さんがしはったんです。その時、うちの銀座の店にお料理のご下命を戴いて、ほんなら、その特別の折箱作ってくれ言うて、うち(京都)に連絡があって、あの時、三十八個かな?総金箔の天皇と皇后を鳳凰になぞらえて、向かい合っている絵を描いてもろたんですが、その前日に包む風呂敷が絹やないと金箔がひっつく言うて大騷動になったんです。絹の反物を探したけど京都に持ってるとこが無い。今晩中にせんかったら、明日の昼やから間に合わんでしよ。あっちこっち探してやっと一軒見つかって、それ切ってもろて、紅白に染めて、それも四角つまんで塗料に半分つけて、丸く赤こうなりますがな。ほて朝一番の新幹線でやっと間におうた。やっぱりね、皇族関係の、何かするんなら有職の人が居る京都やないと出来しまへん。それにかかわらしてもうて、すごいことをやらしてもろたと思てます。


主 人 先日ね、夜咄のお茶事やってまして、嵐山で。
まめ鶴 ずうと、夜遅おまで?
主 人 十一時、終わったんが。皆さんが、五時にお着きになって、ちよっと身じたくする部屋へご案内して、そこで、着物の人は足袋替えたり、男性は靴下替えたりしてへんけどね(笑)。ほで、身繕いして、寄付いう、そこへ行って、普通(夜咄の時)は甘酒出すんやけど、ほいで、お薄を、理津ちやん(嵐山店女将)来たんで、盆手前で点てさせた。
まめ鶴 へえ。
主 人 それから腰掛、庭の腰掛行って、そこでしばらく、こう陽が傾いて行くのを見ながら、手焙にあたりながら、ほいで、僕が茶室から迎えに行って、寒いでしょ、そやから湯を用意してある……。手燭の交換があって。それがもう、ちよっと暗うなった時にね、茶の間は暗ーい、ほのかな明かりしか無いでしよ。そんなんで手燭の交換して、ほいで、僕がへっ込んだら、ご正客がしばらくして、蹲踞でお湯使こうで、それから茶の間(本席)ヘ入って、お炭手前、昨日は(近衛)家煕さんの(小倉百人一首)懐紙を掛けてて、その床の間を見て、釜とか炉縁とか、そういうの見ながら待ってはる。ほで、茶の間ではきゅうきゅう(窮屈)。茶の間で食事出来へんので、書院へ移って。
まめ鶴 へえ。
主 人 書院でずうと食事(懐石)食べてもろて、それから、また、腰掛へ出てもうて。「どうぞ」と、鳴り物で言われて、ドラを、大小大小、中中大って……、その叩き方あるわけや。そのドラを叩いて、それから席改めて、濃茶練って、続薄して、それから、また席改めて、果実で終わり。それに六時間かかった。
まめ鶴 ほう。
主 人 延々六時間。夜咄の茶事って楽しいわ。夜咄ってね、ずうと日が暮れて行く時に……。やっぱり明かりと、景色やね。そやで、広間全部電気なしや。ローソクであったり、タンケイであったり、油を皿に引いて、灯心に明かりつけて、灯心いうたらね、ちよっと出したらパーッと炎、大きなる。
編 集 良いですね。
主 人 楽しいでっせ、ほんまに。(西村)道仁いうて、武野紹鴎の釜師ですのや。利休さんの、も一つ上のお師匠さん。その人の釜かけて、そやけどその、道仁の釜(桃山時代の京釜)でもね普通は四百五十年も経ってたら、底が変わってんです。そやけど、うちのはそのままやから……。ほんなら、最後にお白湯欲しい言うて、こんなおいしいお白湯言うて。ほんまにね、水からかけますさかいね。水は嵐山の水ですねん。
まめ鶴 へえ。
主 人 それが、ずうと煮えて来て、何時間も煮えてるわけやからね……。五時から始まって、ほで終わったの十一時やから。
編 集 夜咄というのがいいですね。言葉の響きが。


 

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