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そして徳岡の哲学は始まる。
「感動の極みに達した時、貴方はどうしますか? 涙するでしょう! では、お客様に、感動して涙して頂きましょう!!」
なぜに京都や嵐山吉兆を訪れてもらえるのか? 考えはそこからスタートする。ゆっ くりと時が流れる空間を作り出すことで、過去の出来事と自分を比較し見詰め直す事ができるのではないか---。社員ミーティングで、徳岡はそんな仮説を立てた。ゆっ くりとした空間を作り出すため、京都の言葉を使ってサービスを試みたこともあったという。吉兆の社員は地元京都出身が多いと思いきや、意外とそうでもない。むしろ 少数派。そんな彼らが、無理に京都の言葉をしゃべろうとして、余計におかしくなっ て、お客に笑われたこともあるという。
「涙を流すのはストレスを発散するため。日常とはかけ離れた異空間を醸し出すことによって、感動の極みへ到達するのではないか」
このような思いで日々工夫を重ねていると徳岡は言う。
仲居の女性も一体となってその空間を共有する。
「お客様との関係の中で、生きる喜びを感じて頂きたいから。そして生産者も含め、 携わっている方々と気持ちがインタラクティブに通い合う事が出来たら---」
そんな情熱の昴りから、あるとき仲居の一人も、感極まって涙してしまったという。
ちなみに今年は、5月末日現在で、吉兆を訪れた客で涙した人は、3名を記録しているそうだ。

キーワード 其の二
食材と徹底した現場主義
吉兆の吉は、土に口と書く。これは食物を育む大地の意を込めて「土」にしたという。湯木貞一は、人と人との関わりを大切にし、大阪財界人のバックアップを得て、 開業9年後に、戦前としては異例の早さで、株式会社設立を行った。
吉兆の味に秘密があるとするなら、まず素材だろう。
「味は、食材の調達がすべて」
と語る徳岡は、その入手経路もユニークな方法を取っている。それは、社員とともに全国を飛び回り、またあるときは食材を提供してくれる農家を訪ねる。さらに社員旅行として、生産現場の見学を行うことさえあるという。
北は北海道、利尻に飛び、現地生産者から最高の昆布を調達し、南は鹿児島、枕崎まで足を延ばし、最高の鰹節を手に入れる。だしに使う昆布は、夏には香深産の利尻昆布を使い、寒い時は道南の真昆布を使う。上品で甘みのあるだしがとれる天然真昆布。鰹節は一本釣りの鰹にカビをつけた本枯れ節の雄節のみを何種類か併用するのだ。
また、ユニークなのは、素材を仕入れる際、米に始まり、塩、醤油、味醂などの調味料は、すべて調理担当者だけでなく、サービス、掃除係の女性まで、平等に全員でブラインドテイスティングを行い、彼らの意見も参考にするという。味覚の偏りをなく し、かつ、その時期の最高の食材、調味料を使って料理法を変えていくのが徳岡流の哲学なのだ。さらに米は炊き方を変えたり、醤油にいたっては料理法に合わせてオリ ジナルを生産してもらうという。現在、塩は5種類を併用している。しかしそれも、 たまに変わるらしい。

八寸。季節感を盛り込み、生産地の風景や生産者、調理した人間の顔が見える料理を目指す。見て味わう要素だけでなく、心に訴えかけてくる品々。空間、器、料理、これらすべてが吉兆の世界観。まさに総合芸術の極みである。


11のホールディングカンパニーとファミリーの結束、青山会

ここでは現場だけではなく、吉兆の全体像を掴んでおきたい。
1939年(昭和14年)に設立した株式会社吉兆は、当時は料理店営業会社であったが、 今は、知的所有権を管理する会社になり、その株式会社吉兆が100%出資して土地管理会社を設立した。大阪高麗橋、東京、大阪船場、神戸、京都、と5つのエリアにわかれて運営されている。キクコーポレーションとユキカンパニー東京、船場、神戸、京都がそれに当たる。以上の6つの会社と資本関係がない会社が、さらに5つある。株式会社吉兆より名前を借り、カンパニーより土地を借り湯木貞一の息子1人と4人の娘たちが、それぞれ料理店営業会社を設立しているのである。株式会社・本吉兆、東京吉兆、船場吉兆、神戸吉兆、京都吉兆。以上11社が存在する仕組みになっている。こう した組織構成は、機動力、地域性、そして「独自性のあるチームワークの取れたサー ビス」「プロフェッショナリズムな商品開発」「顧客満足度の向上につながる経営」 に大きく役立つからである。
たとえばその中のひとつ、京都では、吉兆京都本店嵐山店、吉兆リーガロイヤルホテル京都店、花吉兆、吉兆ホテルグランヴィア京都店、吉兆松花堂店の5店舗と食品加工販売部がそれぞれ独立部門化して運営されている。各店舗からの売り上げは、株式会社・京都吉兆が集計、管理し、毎月20日頃、前月の決算が出される。その直後のタイミングで、料理、マネージメント、サービスの責任者が一堂に会する経営会議が行われる。そこでは、各店舗間での情報交換に始まり、サービス面での問題点を報告し合うこともある。当然新しい提案などもこの会で認証される。メニューに関しては、毎回試食会が行われている。
また、湯木貞一の意思や感性を後世に伝えるため、三代目にあたる孫10人と伴侶、子供たちが中心になり、年2〜3回、青山会を催している。 「会社は、切り離されていても、ファミリーの団結力を増し、次の世代への架け橋になる基盤を作ろう」という考えで、この会は結成された。そこでは、必要なもの、不必要なものを選別して、新しいルール作りを目指している。これは単なる親族会ではなく、平成元年に発足したことから平成の湯木貞一研究会と言っても過言ではない。

↓写真左=若手料理人の指導にあたる、吉兆創業者・湯木貞一。右=昭和23年、京都嵐山に開業した当時の吉兆の様子。大堰川のほとり、渡月橋に近くに位置する。湯木は料理や茶の湯を通じて政財界の要人と交流を持ち、料理人としては初の文化功労者賞も受賞した。
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