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料理の神様といわれた祖父のもとで世界一の料理人を目指す
春夏秋冬、多くの人々を魅了する京都随一の景勝地、嵐山。その中でも最も賑やかな渡月橋界隈から少し奥まった場所に、緑繁る大きな門構えの建物があります。周囲の喧騒に一線を画すように静かに佇むのが『京都吉兆嵐山本店』です。
同店の総料理長であり、若主人である徳岡邦夫さんは日本有数の料亭『吉兆』の創業者、湯木貞一氏の孫。いわば料理界のサラブレッドですが、若い頃は家業を継ぐ気持ちはなかったとか。
「中学時代はサッカー、高校時代は音楽に夢中になって・・・.高校卒業時にはプロミュージシャンになりたいと本気で考えていました」
小さい頃から何事も中途半端が嫌い、やるならとことんやる、という性格の徳岡さん。ドラムの腕前もプロでやらないか?という声がかかるほどのレベルだったとか。もちろんご両親は大反対。しかしあきらめきれず、家族を説得してもらおうと、小学校の頃からの知り合いである褝寺の老師のところを訪ねました。
「老師はなにも言わず僕を受け入れてくれ、しばらくここにいろと。で、いきなり髪を剃られて(笑)。作務衣を着て、毎日、風呂掃除や薪割りをするお坊さんのような生活を始めたんです」
薪を割りながら、自分の不甲斐なさに涙する・・・、そんな日々を過ごすうちにふと思い至ることがあったそうです。
「なぜ自分自身も辛い思いをしながら、家族が嫌がることをしているんやろう?なにか違うなあって。それやったらみんなが喜ぶことをしたほうがいい、料理人を目指してもいいんやないかと・・・」
料理人になるのであれば本気で世界一を目指したい、ならば料理の神様といわれた祖父のもとで働きたい。徳岡さんは決意し、大阪の高麗橋店で料理の修行に入りました。そこで日々祖父の仕事に接するうちに「茶の湯こそ、湯木貞一の湯木貞一たるゆえん」と気付きます。即座に貞一氏に願い出て、京都の裏千家の重鎮、浜本宗俊氏の弟子となり、茶を本格的に学びはじめました。その後、大阪から東京へ、場所を変えながらも祖父の下で修行を続け、徳岡さんは七年後にようやく京都に戻ってきました。
 
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