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今いる場所を確認したら、思った方向へ突っ走る−。
京都吉兆嵐山本店総料理長の徳岡邦夫さんは、亀岡市立高田中学校2年生に、こう呼びかける。
日本各地、世界中で、命とかかわる食の文化の大切さを提案し続ける徳岡さんの言葉が、生徒に、今、そして未来を生きる息吹を吹き込んでいく。

20歳のとき、世界一のシェフを志した

みんなを見て、自分が中2だったころのことを思い出しています。どうも、君たちと違って、私はまじめではなかった。自分のそんな話も紹介しながら、日本人にとって大切な主食のお米について話し、うちの料理人二人にも手伝ってもらい、実際に、お米を炊いてみましょう。
大阪で生まれ、2歳の時から、京都の店で育ちました。小学校は、お金持ちばっかりの私立のいわゆる坊ちゃん学校。中学は東京の名門私立の受験に失敗して、地元の中学に。ガラリと雰囲気が変わりました。君たちと同じころは、知ってるかなあ「ヤンキー」というの。私もすっかりそれ。ヘアスタイルはリーゼント、額に剃り込みを入れ、ダボダボの学生服という格好で町を歩いていました。勉強なんか全くせず。けんかしたり…。ただ、幸せなことに、サッカー部に入っていて、うまくなること、勝つことに一生懸命。それ以外、将来のことなんか何も考えていなかった。
ちょっと雲行きが変わってきたのは、3年生の時。進路指導の三者面談で、担任の先生が「このままではどこの高校も無理です」と母に告げたのです。店で多忙を極め、それまで勉強のことなど一言もいわなかった母でしたがさすがに、いかんと思い、いろいろ相談したのでしょう。大阪にある塾に行くことに。


そこは超難関の高校をめざす中学生ばかりの塾。勉強していなかった私は3年生なのに、中1のしかも下から3番目のクラスに入れられた。歳はくっている、勉強はもうひとつ。みんなの視線がつらい。屈辱に、チクショウ、今に! と思いました。そういう性格なのです。100点取るとパイナップルの缶詰がもらえる餌にも釣られ、だんだん成績も上がり、勉強も楽しくなる。特に数学の幾何や図形が得意で、徹夜をし、夜の帝王と呼ばれるほどがんばった。その結果、高校は、ある受験校に上位5人の一人に選ばれる成績で入学しました。が、80点を5点下回るとビンタ一発という校風。どうもあわない。体調も狂い、学校をやめてしまいます。
家の手伝いを2年ほどやり、入りなおした府立高校で、音楽と出合います。これにのめりこんだのです。世界に通用するプロのドラマーになりたい、とまで思いつめる。何かをしたい、何かになりたいと心底自分で思ったのは、これが初めての経験でした。ところが、これに父母は大反対。友達もほとんどが、やめたほうがいいという。それで、昔から尊敬していたお坊さんに相談しました。賛成して、親を説得してくれるだろうと。
だけど、そうではなかった。お坊さんは、黙って話を聞いた後、「しばらく寺にいなさい」とおっしゃる。つまり坊さんになれと。その日から、作務衣(さむえ)を着て、修行です。座禅に風呂当番。毎日、水くみをし、まきを割って、風呂をたきます。そうして2カ月。そのころ、なぜか、まきを割るたび、涙が止まらない。ある日、座禅をしている時。見えるはずもないのに、太陽が、ワーッと山の端に昇ってくるのが見えてきた。この時、霊感のように何かがわかった。自分がやりたい、と思うことがやっとできたのに、それを通そうとすると、なぜ多くの人がいやな思いをするのか。これは、何か間違っているな、と。みんながニコニコしてくれることをやるべきなんだ。そうか、それは、料理人になって、吉兆を継ぐことだ、と。
よし、世界に通用する料理人になろう。腹が決まった。20歳の時です。料理界で初めて文化功労者となった祖父のもとで修業したい。最高の料理人のもとで学び、世界一の料理人になろうと、志を立てたのです。きのう(13日)、ミシュラン京都・大阪版で、三つ星をもらいました。国際標準の評価、目標に近づいたと思います。
さて、ご飯が炊き上がりました。お米を研ぐのではなく、壊さないよう優しくすすぐ。均等にすばやく熱の伝わるよう炊き、途中でふたを開け、混ぜたり…と、だいぶ、常識とは違ったでしょう。おかずと一緒に食べるご飯は何が必要かを追求し、食感を大事にした炊き方なのです。科学的根拠やさまざまな人の考えを取り入れ、何でも、常識を見直してみることが大切です。みんな、いつものご飯とどう違うか、味わってください。

徳岡さんは、必要とされるものをやれば、みんなが喜んでくれる。それが自分の好きなことだったら、こんな楽しい人生はない。自分は20歳までかかったが、みんなは今から、努力しそれを探してほしい、と授業を締めくくる。「あきらめなければ必ずできる。それは、今まで生きてきたことが証明している」−ご飯の芳香とともに人生への強いメッセージが、生徒に届いた。
(文・辻恒人、写真・板東勇)

【写真説明】さあ、上手に炊けました。いつものご飯と、どう違うかな(14日、亀岡市立高田中学校)
 
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