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さて、湯木氏が所有した松木地盆について見ますと、濃い春慶塗りで外側の四隅には細工のある錺り金具が打たれて、内側は田の字形に仕切りで四つに分けられ、その一つには竹板が置かれ、他の三つの底面には簡略な墨絵(盆石・雁・梅)が描かれていて蓋はありませんでした。
(写真1) |
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※湯木氏が所有していた松木地盆。松花堂弁当の原形となったもので、上質で丁寧に作られています。 |
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湯木氏はこれを最初は前菜の器として使っていました。
昭和11年2月20日の大晦日毎日新聞には「洋食・和食を通じてこの頃゛前菜時代゛です」のタイトルの記事が掲載されています。この記事の中で、「洋食の場合」は鈴木吉蔵氏(大阪ガスビル食堂料理長)が担当。湯木氏は「和食の場合」の項に「季節感を盛る」の見出しの元に、数種の前菜を出す場合の器として松木地盆を紹介しています。松木地盆を弁当箱とするとのは、しばらく後のことでした。 |