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―まずは吉兆の歴史を。

徳岡:一九三○年(昭和五)に私の祖父、湯木貞一が大阪で創業し、三九年に株式会社を設立しています。それこそ格差なんかがすごくあって世の中が混沌としている時代に、なぜ小さな料理屋が株式会社にしたのか、なでそれができたのか―それは今もなぞです。湯木貞一は新しい料理の開発や文化的なことに関してはすごくセンスがあり、完成が鋭かったということはあると思いますが、経済、金融のことにたけてたとは思えない。祖父とは晩年ずっと一緒だったので、そうした中で感じた事ですが。

湯木貞一は十五歳から料理の世界に入っているのですが、二十歳のころに松平不味公(茶人・松平七代目藩主)という方の茶器や料理のことなどが詳細に書かれた記録を見て、「料理ってなんて素晴らしいんだ」とすごく感動したみたいなんです。季節の表現の仕方、料理との関係、そういうところに魅了され、お茶の世界にどんどんのめりこんでいき、三十四歳のころに表千家に入門。そして、そのすぐ後ぐらいに株式会社化しているんです。

―お茶の世界に入ったことで、きっかけが生じたと。

徳岡:そのころのお茶の世界は財閥系の方々が集まる場だったのですが、歴史を振り返れば利休のころはどうだったのか。利休がお茶の祖といわれていますが、利休にはそれを作りだす必然性がなかったように思うんですよ。それより本当は秀吉がお茶という世界を作りたかったのかなと。秀吉には腹を割って話せる人間をつくる必要があった。そういう空間を天下人の秀吉が求め、一介の商人であった利休に茶室を作らせた。なんか似てませんか? 財界の人たちと、一介の料理人であった湯木貞一とに接点があるのと。

そして、当時のお茶の世界も、真摯な人間対人間の信頼関係を育む場所だったのではないか。そこにたまたま料理を提供する者として湯木貞一が呼ばれ、料理を通じて、「これはちょっとただの料理人とは違う」と財界の方々に思わせた。そして湯木貞一の人間性も正式に表千家に入門することでますます近しくなっていき、そのなかで、目に見えないギブ・アンド・テイクの関係が生まれていったと想像するのです。

―どのような方々と親交が?

徳岡:一番親しくしていたのはアサヒビールの創業者である山本為三郎さんと聞いています。また、阪急電鉄の小林一三さんとか、日商岩井の高畑誠一さん、電力王といわれた松永安左ヱ門さんなど、日本を動かしていたような方たちが料理人である湯木貞一の周りにいたんですよ。

 
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