―東京への進出は。
徳岡:一九六一年に銀座に出店しましたが、山本さんが「三年後に東京オリンピックだから東京に出なさい」とアドバイスし、資金も出していただいたようです。このときの湯木貞一は、「世界の名物、日本料理」というコピーを考えました。また高畑さんには海外の食材を持っていただき、料理の中に取り入れていたりもしたようで、そのように盛り立ててくださった方々がいて、今の吉兆があるんだなと感謝する一方、なぜそんなに長く関係が続いたのか考えると、やはりギブ・アンド・テイクが成り立っていたからだと思います。
今の時代ですと、企業家にインキュベートするためにお金を投資し、上場した段階でキャピタルゲインをもらうというギブ・アンド・テイクもありだと思いますけど、当時はそういうものがない分、目に見えない関係が重かったのかもしれません。湯木貞一は人と人との接点を大切にした人で、そこが一番のポイントだと思います。
人と人の関係を大切にするって、言葉にするとすごくさらっとしているのですが、祖父の言葉に「工夫して、心くだくる思いには、花鳥風月、みな料理なり」といのがあり、僕が直接聞いた話では、「あきらめないで伝えようとする気持ちを具体化することが料理への工夫なんだ。その気持ちというのは、荒れている海の岸壁に波が勢いよく当たり、木っ端微塵に散るだろう?ああいうイメージなんだ。すごい思いを持って、それでもあきらめるな。絶えず努力しなさい。それこそが料理なんだ」と。
そうした血のにじむような工夫というのを、祖父はそうした方々にしていたと思うんです。そして、その思いをくみ取れる方々だったのでしょう。そういう関係をいろんな方とつくり続けられることこそ、吉兆の存在意義だと思いますし、それがなくなった時点で吉兆というのは必要ないものとなるでしょう。
―実際の食事代はおいくらほどになるのですか。
徳岡:嵐山店ですと、一人の平均単価が五万三千円くらいします。お一人で来ることはないので、二時間くらいの食事で二人なら十万ちょっとかかるわけです。いいワインとか飲まれたら、あっという間に合計二十万円。普通じゃないですよね。ならば、非日常の世界を築き上げないといけない。それがないと吉兆が必要ないわけです。
今もお客様が絶えないでいるというは、二十万しても、それが必要と思っていただけるから。もちろん、時代、時代に合わせて値段設定、商品内容、サービス内容を変化させていかなければいけない。そういう中で、吉兆というのも、どうあるべきか。何を守って、何を変えていかなければいけないのかを常に考えていかなければならないと思っています。
存在価値のあるビジネスって、社会貢献しているのと同じだと思います。人の役に立っているから長く続けていける。そうではなく単発的に儲けたらすぐにやめて次の展開にという商いでは、やっていて生きがいを感じないような気がします。