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石黒:この3月に名古屋に出店されたとか。
徳岡:この度、トヨタさんがミッドランドスクエアを新築するにあたって、そちらの41階にオープンさせていただくことになりました。名古屋への出店については今まで色々な話があったのですが実現には至りませんでした。しかし今回さまざまなご縁をいただき、吉兆として初の名古屋出店が実現しました。
石黒:徳岡さんはブログを含めていろいろなメディアで情報を発信されていますが、今回出された書物「春の食卓」は、これまでの料理本とは一味違う内容ですね。
徳岡:ありがとうございます。今回の書物は「春」がテーマですが、夏、秋、冬の4部作を予定しています。単なるレシピではなく、料理を作るにあたってなぜこの手順が必要なのかを理解していただけるよう心がけています。
石黒:手順を理解すれば料理が上手くなりますか。
徳岡:それはちょっとわかりません。ただ、野菜の下茹ではなぜ必要なのか、魚の霜ふりは何のためなのかなど、それぞれの手順の意味がわかれば料理が楽しくなることは請け合いです。またその作業が必要ないと思われるときは、その作業を省くのも自由です。焼くとはどういうことか、蒸すとは、揚げるとはなど、項目別に説明した書物を加えて、年内に6册を発刊する予定です。
石黒:それにしても、お忙しい中で、年6册とはすごい精力ですね。
徳岡:家庭料理を手助けすることも私の大きなテーマです。今まで閉ざされてきた料亭の門戸を開けば、新たな世界が見えてきます。
石黒:吉兆さんと言えば創業者である湯木貞一さんの名が広く知られています。徳岡さんは、祖父でもあるこの偉大な料理人をどのように見ておられますか。
徳岡:日本経済のバブルが崩壊する1990年頃までは、湯木貞一にあこがれ、私も湯木貞一になることを願っていました。しかしバブル崩壊を契機とした不況の中で厳しい経験を経たことで、「私は私でしかない」ということに気付きました。それ以降は、偉大な先輩として尊敬してはいますが、自分の道を歩めるようになりました。
石黒:京都吉兆の三代目でいらっしゃる徳岡さんも、はじめは順風満帆ではなかった。
徳岡:バブル崩壊後の不況でお客様の数が激減してからは本当に大変でした。経営がうまくいかなくなると職場も殺伐とした雰囲気になります。経営会議も、どうすれば良くなるかの話し合いではなく、「誰が悪いのか」といった責任追及の場になります。社員が大量に辞めて私が料理長を任されてからは状況はさらに厳しくなり、チームワークも皆無で、すべての責任が三代目である私にかかってきました。世の中の悪いことはすべて私のせいにされていると感じたこともあるんですよ。
石黒:京都吉兆が倒産したなどという根拠のない風評が立ったそうですね。
徳岡:あの噂には私も心底驚きました。でもあの苦労があったからこそ、現在の私があると思っています。
石黒:先日、私としては大奮発して嵐山の吉兆さんで食事をいただきました(笑)。料理の美味しさ、その盛り付けの見事さもさることながら、料理が運ばれてくるそのタイミングの良さに感心しました。食べる速度などは、人によって違います。なのに、食べたいと思う料理が絶妙のタイミングで出てくる。板場から仲居さんに至るまで、まさに阿吽の呼吸です。今のお話をお聞きして、厳しい時代を経験したからこそ、現在のチームワークもあるのかなと感じています。
徳岡:恐れ入ります。その当時は何とかしなければならないと必死でした。どのように営業すれば良いのかもわからないので、一般企業のように営業マンを採用したりと失敗は数限りありません。いくら優秀な営業マンであっても、これを活かす仕組みが企業にないとその力を活用することはできません。料理とはコミュニケーションでもあるのですが、社内のコミュニケーションが欠落していてはお客さまへのコミュニケーションが満足いくものになるはずがありません。本当に色々なことを勉強しました。
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