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料亭の存在価値を疑っていた時代、徳岡が心に決めたのは徹底的なディスクロージャーだった。政治家の密談、一見さんは門前払い、法外な料金・・・・。そうしたネガティブなイメージを払拭して、普通の人が「一度行ってみたい」と憧れる店にしたかった。
実際、50代以上に限定されていた客層は、これ以後、20〜80代に広がったし、初めて訪れる客の割合も半分を超えた。多くの人に愛される店に生まれ変わった。
京都吉兆のホームページを見ると、情報公開の徹底ぶりが分かる。メニューの紹介から、器の来歴や作法の解説まで。ネット予約もできるぐらいなので、値段も当然オープン。昼食3万6750円から、夕食4万2000円から。
庶民には目が飛び出る値段ではある。しかし、器の値打を聞くだけでも印象は変わる。江戸時代初期の古染め付けや魯山人など、美術館に所蔵されているような器を手に取り、眺めることができるのだ。何百万、何千万円は当たり前。骨董屋が1億円で譲ってくれと頼んできた鉢までもが、食器として使われている。
「進むべき道で悩んでる頃、低価格化すべきという意見もあったんです。いま1組しか入れていない座敷を区切って、4組入れろとかね。でも、嵐山本店はグランメゾンというか、京都吉兆を代表する存在です。ブランドが崩れてしまうと、猛反対しました。値段は維持したまま、満足度を上げる方向で考えようと。
5万円は小さな額じゃない。でも最高の食材を各地から取り寄せてるので、正直、それでも厳しい。鱧の値段だって、この10年で倍になってますから。一方、うちの料金は昭和30年代からほとんど変わってないんですよ。目減りしてる感じがある。当時、海外でこんな料金設定のレストランはなかったんですが、いまや為替の問題も逆転しちゃった。パリでアラン・デュカスの店なんか行くと、10万円近くしますからねえ」
徳岡は最近、海外で日本料理を紹介したり、有機農業の支援をしたり、日本版スローフード協会を企画したりと、社会貢献に力を割いている。変えるべきものは変える一方で、絶対に守るべき伝統もあると考えるからだ。
「昭和5年に湯木貞一が大阪で始めた店は、10人も入れば満員になるような狭い店です。ところが、昭和14年には株式会社化している。阪急の小林一三さんやアサヒビールの山本為三郎さんが知恵や資金を出してくれたからです。昭和36年に東京に進出したときも同じで、マーケティングから資金調達まで、支援者たちが世話を焼いてくれた。
湯木は政治家、財界人、ジャーナリスト、文化人など、交友関係が広かった。だからこそ、今日の吉兆がある。『人との関係を大切にする』ことも、吉兆の伝統なんですね。若いスタッフにいつも言うんです。お客様にしろ、出入りの業者にしろ、地域の人たちにせよ、長いスパンでお付き合いできる関係を築けと。儲けることより、社会から必要とされる店になる方が大切なんだと」
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写真:仕込みにかかる料理人の表情は真剣そのもの。京都吉兆では板場でも大卒者をはじめ、全国各地からの出身者が働く |
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写真:奈良女子大を卒業し、嵐山本店で仲居を務める合田有香さん。茶道を学んでいた合田さんにとって「吉兆」の器や調度は大きな魅力だという |
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