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おじいさんはもう自分で包丁を取ることはありませんでした。調理場の盛り台の上に座布団をしいて正座し、そこから監視するだけ。僕が入った頃はそれも週に一度くらいになっていましたが、僕が入る以前は朝から晩までそこで睨んでたらしい。ある時、若い料理人が中身の入った鉄鍋を持って、おじいさんのうしろを通ろうとしたんです。高下駄を履いてたから滑ってしまい、鍋ごとひっくり返った。その拍子に鍋の縁で指を相当深く切っちゃったんですよ。血がパーッと出て、調理場が愕然となったんです。でも、おじいさんは顔色を変えずに、『おい、鍋は大丈夫か』って尋ねた。そんな人ですから、おじいさんが入ってきたら調理場はシーンとなりました」

高麗橋本店の調理場で徳岡は料理人としての本格的な修行に入った。始めは漬物を刻むことだけが彼の仕事である。来る日も来る日も
しば漬けを細かく刻み、それで包丁の使い方を覚えていった。神様の孫だからといって特別扱いされることはなく、周りの料理人たちからも殴られ、罵声を浴びて料理を覚えるしかなかった。

「ただ僕は欲求不満でした。大きな料理屋の場合、部分、部分しか担当させてもらえない。材料を選ぶのはある人がやって、管理するのはまた別の人、材料の皮を剥いたり、切ったりする人はそれだけやる。全体をひとりでこしらえるということはまずない。少しずつローテーションしていって、全部を習い終わった時にやっと全体がつかめ、一人前の料理人になれる。でも、若い時って、そんなに長い時間、修行したいと思わない。少しでも早く料理をひとりで作ってみたくなるものなんです」

修行を始めて2年目のこと、彼と当時つき合っていた彼女とふたりで独立する計画を立てた。その計画を聞いた親戚一同は鳩首会議の結果、
こう言い渡した。

「言っていることはわかった。しかし、お前は京都、高麗橋で修行をした。せっかくだから、東京の店も経験してみたらどうだ。お前は結婚したいと言っているが、本当に愛し合ってる仲なら、少しの間くらいわかれていたって平気だろう」

坊ちゃん育ちで素直なせいか、人の話に耳を傾ける癖のある徳岡は「それもそうだ」と納得して東京へ。それから6年の間、木挽町の店で
料理を修め、祖父が人と会う時は鞄持ちとして同行した。湯木の孫のなかで、大学に進まず、本店、東京店、嵐山の3店で修行したのは
徳岡だけである。

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