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中を過ぎ、祇園のバー、モンクスも看板となった。徳岡と私は歩いて下河原町の定食屋「夜明け」を目指した。店名の通り、 朝までやっているその定食屋はだし巻きがうまい。カウンターにはめ込まれた鉄板の上におばちゃんが溶いた玉子を垂らし、端からくるくると巻いていく。
できたての熱々を食べながら、私はなおも彼に尋ねた。

「メニューもおじいさんやお父さんの時代とは変わっているの。例えばフランス料理風にするとか」

「うーん、フランス料理や中華料理の研究はしてますが、料理そのものをとり入れたりはしてません。おじいさんは死ぬ前にこんなことを言ってたんです。『キャビアなどは味の目先を変える食材ではある。しかし、日本の食卓には定着しません。私は日本各地で取れる食材とそれをおいしく食べる郷土料理の勉強がしたい』。僕もこの点についてはおじいさんの言った通りだと思うんですよ。日本の郷土料理や昔からある家庭料理の中に、今はやりの野菜料理やスローフードの知恵が詰まっているんだから」

私は、へえー、外見はぬぼーっとしてるけれど、徳岡はなかなか考えているんだなと思った。

「料理を変えなくてはいけないのは何も店のためだけじゃないんです。昔に比べるとお客さんの嗜好が変わってるんです。おじいさんの頃のお客さんは量も食べたし、よく飲みました。一升酒を飲むような人が大勢いましたから。だから海鼠腸やくちこみたいな酒肴がかならず料理の中に入っていた。でも、今の人たちは酒のつまみみたいなものもあまり食べないし、ごはんも少ししか食べない。ヘルシーを意識してるんです」

客の好みが変わった結果、たとえ同じ鯛茶漬けという料理ではあっても、量も味付けも変わらざるをえない。
嵐山吉兆の料理はどれも日々変化しているのだ。さらに彼の話を聞いていると、祖父の課題であった郷土料理の研究も受け継いでいるようだ。

「この間、福岡に行った時、ごまサバという料理を初めて食べたんです。生のサバに下味をつけて、すりごまをまぶしたもので、福岡の味です。それをヒントにして考えたんですが、僕は鯛の料理にしました。鯛をやや厚く切る。ごまの代わりにカラスミを使います。濃口醤油につけて薄くスライスしたカラスミを片面だけ焙る。それは香ばしさをつけるためです。そのカラスミをごまの大きさの三倍くらいに切って鯛にまぶす。これはそのまま食べるとおいしいですよ」

吉兆風の料理といえば、季節を盛り込んだダイナミックな盛り付けが特徴と言われている。そして世の中に大勢いる吉兆出身の料理人たちは
相変わらず昔のままの吉兆風料理を作っている。くだいた氷で小さなかまくらをつくり、そのなかに刺し身を置いたり、
もしくは緑の笹の葉の上に大量の鮎を並べてみるといったように・・・。吉兆出身者は「これが吉兆風だ」という料理を作っていないと、
自らのプレステージをアピールすることができないが、徳岡は創業者の孫だから、いつでも自由に中身や盛り付けを変えることができる。
したたかな彼は孫という自分の立場もわきまえて大きな変革をしているのだ。

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