さて、3階に位置する茶室の準備も整い、正客であるソフトバンクの宮内謙氏を筆頭に、階上へ。細い階段を上りきると、立礼の席に座る、亭主・北見宗幸氏の姿が見える。向かって左には山崎の天然水が移された木地の水指が鎮座する。右手には天命の作というひさご形の釜がかかり、名水が静かな湯気を上げている。奥の壁に浮かび上がる雲月の掛物は、江戸時代の僧・良寛の手によるものだ。飯炊き釜のふたを開けたときのふんわりとした湯気の流れを至福の雲に見立て、釜のふたの裏に書を刻んだという。まるで部屋の中に月が持ち込まれたかのように風雅だ。咲き誇る季節の萩とむくげを、実業家であり茶人でもある益田鈍翁作の花入れに、無造作に投げ入れた姿も、夜の茶席を艶やかに彩る。
茶の真理は、一服の茶を通じて人を和ますことにある。最大級のもてなしの気持ちを込めてふるまわれたシングルモルト山崎の心地よい余韻が、今、始まろうとする茶席への期待感をさらに膨らませている。全員の席入りがすみ、ひとときの沈黙。そして一礼ののち荘厳な茶席が始まった。おもむろに北見氏が柄杓で名水をすくい、桃山時代の伊羅保の茶碗に注ぐ。清々しい音のみが静寂の中にこだまし、小さな庵の中に名水の”気”が満ちる。そして正客から順に、名水の入った茶碗が回されていく。一口含み、次客へまわし、また次へ。木地の香りがつき、わずかにとろみがました水を、全員が口内で確かめる。貴重な立礼での名水点も、時の重みを経た桃山時代の伊羅保の茶碗を選ぶことで、違和感なく現代と古が手を取り合うから不思議だ。
こうして名水を堪能したあとに、いよいよ茶の仕度にかかる。亭主がこの日のために選定したもう一椀は大正期の民芸運動の先駆者、河井寛次郎の作。大胆な図柄が、形式にとらわれない、婆沙羅なおkの茶会のの雰囲気をよくあらわしている。いくらでも格の高い茶碗を使用することはできるが、「それでは茶碗に失礼にあたる」のだそうだ。会の趣旨と格に見合った、けれど、新しい世界観や価値観を提示できる、若い茶道家ならではのさすがの見立てだ。