日本料理は素材を生かしきることを要求される。もちろん「嵐山吉兆」の料理も例外ではない。おいしい料理をつくるには、必然的に素材のよさが求められるわけだ。数十年前までの日本は、どこにいってもうまい野菜がとれ、海では魚が揚がった。しかし、いま徳岡邦夫はこれからは素材選びが、おいしい料理をつくる第一歩であり、カギであると考えている。彼は厨房改革の一環として、自らの足で最良の食材を求め全国を回った。その中で日本の生産現場が危機に直面していることを知る。日本料理が世界に誇れる食文化としての地位を守りつづけるためにも、第一次産業の再構築の必要性を実感している。徳岡は一昨年、京都スローフード協会の設立に参加し、その中心メンバーとして精力的に活動している。
取材中のある日、徳岡が「明日、近くの農家に野菜を取りに行く」というので、ごいっしょすることにした。「嵐山吉兆」がいつも野菜を仕入れている太秦の長澤農園。住宅街のなかに30アールほどの畑が広がっていて、農園主長澤源一さんが待っていてくれた。
徳岡「うちでは、この小さいほうの小カブは生でそのまま出しているんですよ。大きいほうは直火で焼いてね」 長澤「野菜そのままですなぁ」 徳岡「力のある素材は、手を加えすぎたらその力を壊してしまいますから」 長澤「ウチでは畑に魚粉を使っているんですが、今年からちょっと配合を変えましてね。去年まではイワシ6にニシン4でしたが、今年はニシンを6、イワシを4にしてみました。どうですか?」 徳岡「ニシンの割合を増やすとどうなるんですか?」 長澤「もう少しコクを出そうと……」 編集「土づくりですか?」 長澤「土づくりは当たり前。土に個性を与えるのがプロちゃいますか」 徳岡「畑の土はだしなんですね」
そこはまさしく料理人と生産者のプロとプロがしのぎを削り合う決戦場のように見えた。 徳岡は今夜使うという小カブと九条ネギ、水菜などを車のトランクに詰め込みながら、「ネギもこのまま焼いて出すんですよ」とうれしそうな笑みを浮かべて帰っていった。私たちはもう少し長澤農園のことを知りたくて、そこに残ることにした。 長澤農園は太秦で400年つづく農家で、源一氏は17代目。太秦をはじめ、近郊5か所で計1ヘクタールほどの農地を耕作している。
「ウチも昔は農薬も科学肥料もふつうに使ってました。でも、35歳のときに農薬で倒れてしまいましてね。このままじゃアカンと気づき、18年前から有機・無農薬に取り組みだしたんです。まともなものができるまでには10年かかりました」と振り返る。「嵐山吉兆さんとの取り引きは2000年から。ある日、突然徳岡さんが訪ねて見えましてね……。吉兆はワタシラの試験官やと思てます」と。
prost 男を上げる「和食」 2007年Vol.01