まさかと思っていたけれど、その日が本当にやってきてしまった。「ダンフミ初茶会」
言い訳するわけではないが、言い出しっぺは私ではない、決して。こういうことを考えるのは、もちろん「茶の湯界の特攻隊長」と呼ばれている、担当編集者のヨシオカである。
そのヨシオカ、四か月ほどの産休から、初茶会直前に戦線に復帰するなり言うことには、「私がはじめてお茶会を披いたときに、いちばん大変だったのは、お客様に毛筆、巻紙でご案内状を差し上げたことでした。ダンさんにも、是非、ご案内状を書いていただきたい!」
そういう余裕はないのよ。そういう場合じゃないの。お手前だけで精一杯でしょ。
だが結局、特攻隊長にはかなわないのである。木村センセイのご指導のもと文案を練り、母の書道の先生にお手本を書いてもらった。
一日目、まず、お正客の松源院さまに書き始める。筆の持ち方、墨のすり方など、念入りに研究の上、お手本を睨みつつ、巻紙に書き上げたときには、白々と夜が明けていた。
二日目。ご連客に書く。お手本はお正客用のみだったので、お手本にない文字を「毛筆手紙の書き方」の本の中から一字一字拾い出す。四通書き上げて、この日も徹夜。
三日目。五通書くうちに筆に慣れ、最初に書いた松源院さまへの筆跡が見劣りしてきたので、書き直すことにする。ここが気に入らない、あそこも気になると、またまた徹夜。完成しないうちに巻紙がつきる。
四日目。巻紙を買いに行く。世の中にはヨシオカが用意したものより、ずっといい巻紙が売っていることを知り、すべて一から書き直すことにする。当然、徹夜。
四日徹夜してみて知った。私には茶道より書道のほうが向いている。ずっと筋がいい。
この四日間を、同じだけの集中力と粘り強さで、お茶の稽古に費やしていたら、話はまた違っていたのかもしれない。だが、案内状を書けと命じたのはヨシオカなのだ。
「すっごく字がうまくなっちゃったんだから!」
でき上がった案内状を見せて胸を張ると、ニッコリ笑ってヨシオカは言った。
「よかったですね、お茶をやっていて!これでダンさんの女優としての格が一段あがりましたね」
こういうのを、我田引水ならぬ、茶田引水とでもいうのだろうか……。