「右脇に桶を置いて、柄杓をとって蹲踞から水を汲んで……」身振り手振りでセンセイのおしゃることを反復しながら、しかし、もっとも大事なことを知らないということに気がついた。
「あのぉ、それで、蹲踞って、どこにあるんですか?」
一時が万事、こんな具合である。亭主など務められる段階ではない。「ハイキングが趣味ぐらいの人間が、装備も訓練もなしに、いきなりエベレストに挑むようなもの」だったのだ。
そんな無謀を笑顔で受け止めてくださったのが松源院の老師さまだった。松源院さまのおかげで、お茶会が、なんとか本当にお茶会らしくなった。まことにお正客とは偉大なり。
我が師の木村センセイは向かっておっしゃることには、
「コレはアレですな。獅子が、我が子を千尋の谷に突き落として鍛えるという、そういう指導法ですな」
そうなんです老師さま、図星です!私はいま、千尋の谷底でもがいているんです!
ご連客は、読者四名。いずれもヨシオカ並み、あるいはそれ以上の茶歴を誇るかたがたとお見受けするが、懐石をお出しするにしても、木偶のようにしか動けない私を、優しく温かく見守ってくださっている。
水屋ではほっと一息ついていたら、松源院さまの朗々たる歌声が響いてきた。初茶会を寿ぐ謡曲(松源院さまおしゃるところのアリア)『鶴亀』。本当ならば、お客様におもてなししなければならないはずの亭主が、お客様にもてなされていることを、つくづく感じる。
松源院さまは、なんとかダンフミの手柄を探し当てて、亭主をもり立てようと、心を砕いてくださっていた。
客付に飾った父の色紙をご覧になって、
「この茶会にかける、ダンさんの覚悟のほどが感じられました」
実は、父の色紙を飾ったらと、アイデアを出してくださったのは、お家元だった。松源院さまとこの茶会に合わせて、「生命なり怒涛の果に残る道」という句を選んだのは私だが、お家元の一言なしにはそんなこと、思いつきもしなかったろう。心の中で、そっとお家元に手を合わせる。
「お庭掃除はダンさんが?」
「いえ、ほんのちょっとだけ(撮影用に)」
「お花はダンさん?」
「いえ、あの、ちょっと(撮影のときに)」
「お菓子のご銘は?」
自信を持って答えられるはずのその質問にも、しくじってしまった。「ふみ好み」と答えてしまったのだ。本当は、「ふみ好み」の「結び文」、縁を結ぶふみ、だったのに。