■八寸について

「八寸」について説明する前に、懐石料理の献立について、簡単にスライドで説明します。スライドにて献立を一通り写真付きで紹介。今回は、今お話した献立の中の「八寸」について、特にその盛り込みについてご紹介します。
さて、先ず「八寸」について説明いたします。古来より日本人は、季節の移り変わりを感じられる感性を大事にしていきました。その感覚が優れた人が才能のある人と認められてきました。自然の移り変わりを人の気持と重ね合わせて表現してきたからだと思います。和歌や茶道、香道などあらゆる日本文化の根元となっています。日本料理においても、そういう手法が今尚使われています。特に吉兆では、その表現方法で情熱をお客様に伝える事を大事にしています。
日本料理と言っても様々です。私共吉兆の料理は茶事の中の懐石の考え方が基本となっています。しかしそれは、桃山時代の形を真似る事ではありません。現在の方に伝わる方法でなければ意味のないものになってしまいます。当然、レシピで置き換えられるものでもありません。

八寸に関する背景
「八寸」と言う言葉の語源は茶の湯の大成者利休居士が京都洛南の八幡宮の神器からヒントを得て作ったといわれるもので、そもそもは、八寸角の杉のへぎ木地の角盆を意味しました。やがて、それに盛られる酒肴のことを意味するようになり、現在では献立の名称となっています。
献立名である「八寸」とは、一期一会の好機を得て主となり客となった喜びをこめて、亭主と客が盃をかわす場面でだされるものをいいます。正式には八寸四方の杉のお盆を使い、酒の肴として、海のもの(生臭もの)と山のもの(精進もの)を合わせて出すことが決まりとされています。「八寸」は、十分に湿らし、右向こうに海のもの、左手前に精進のものを盛り、手前に両細の青竹箸を濡らし、露をきって添えます。また、客の数よりも多く(通常、お客さんの人数+御代わり1名分+亭主用1名分)盛り付けるようにします。
懐石の献立には、すでに紹介した通り、先付、吸物、煮物、焼物など色々な料理がありますが、亭主と客が親しく杯をかわして閑談するのがこの「八寸」の時で、最もくつろぎの一時であると言えると思います。また、「八寸」は、コース料理の中で特に視覚を刺激する料理ですので、他の料理とのコンビネーションが大切です。つまり、聴覚、味覚、嗅覚、触覚に特化した他の料理との組み合わせや、献立全体を通した場合の起承転結も考える必要があります。
茶事の中で花を最も貴ぶのは、次の瞬間には消えてしまう自然の中の生命だからです。弘法大師が「流れ行け、流れ行け…、生の流れは逝いてとどまることがない。死ねよ、死ねよ…死は全てのものに来る」と言ったように、最終的には生きるもの全てに「死」が訪れるわけですが、それはつまり、「変化」だけが唯一の「永遠」と言え、この変化するものを愛しむ輪廻の考えに通ずるものであると思います。そして、同じように、花や自然の中にも自分自身もやがて消えてなくなる儚さを見ることが出来るからこそ、尊い存在と位置付けたのだと思います。
その自然の中の瞬間を切り取りデフォルメする事により亭主の客を思う気持や情熱を伝える方法が「八寸」です。つまり、「人間である自分自身も自然の一部で、花と同じではないか。それは、客も亭主も皆同じである。従って、考えが違ったり、行動が違ったりしても、同じ人間として、自然の一部として共通部分を見つけて互いに助け合っていきましょう」と言う事を暗示しているのだと思います。そしてその気持は、一方向ではなく、やり取りが在るから明日への生きる活力になるのです。
尚、夫々のシーズン毎に「八寸」を紹介できれば一番良いのですが、「八寸」は四季折々で変わるものです。従って、今日お見せできるのは季節的にも冬の「八寸」になります。そこで、他の季節のものについては、写真でごらん下さい。