■花

茶の湯

われわれが花に求めるところは、「美しいものへのわれらの犠牲に参加せんことのみ」である。「純潔」と「簡素」との身を捧げることによって、われわれはおのが所業の償いをすることになる。茶人たちが「花の礼拝」を始めたのは、こうした理由からだった。わが国の茶や花の宗匠たちのやり方をよく知っている人は、彼等が花を目する際に宗教的な尊敬の念を持っていた事実に、気がついていただろう。彼等は手当たり次第に折り取るようなことはしない。一本の枝や小枝といえども、おのが心に描く芸術的構成に照らして、慎重に選び取るのである。もし彼等が、万が一にも絶対に必要なもの以上を伐り取るようなことがあれば、彼等は恥じることになる。また、常に花とともに葉を−もしわずかでも葉があるなら−これに添えている。それは、目ざすところが、草木の命の美の全体を表すことにあるからである。この点においても、他の多くの点におけると同じく、彼等の方法は、西洋の国々で行われているのとは違っている。そこでは、花茎だけが、いわば胴体のない頭だけが、雑然と花瓶に突っ込んであるのを見かけることがよくあるからである。
満足のゆくところまで花を生け終わると、茶人はそれを床の間、すなわち日本の室内での名誉ある場所に置く。それの効果を妨げるのをおそれて、花の傍には何一つ置かない。たとえ一幅の絵であろうと、配合上の何か特別な美的理由があるのでなければ、置かれる事はない。花は王座について王侯のごとくに、そこにくつろいでいる。そうして客も、弟子も、室内に入るやまずうやうやしく花に対して敬礼し、しかるのちに始めて主人に挨拶をのべる。素人愛好家のために生花の傑作を写したものが出版されている。生花に関する文献もじつに厖大な量に上っている。花がしおれてしまうと、宗匠は慇懃にそれを川の流れにゆだねるか、でなければ鄭重に地中に埋める。花の追憶のために記念碑が建てられることさえある。

「花を生ける術」(花道)が生まれたのは、第15世紀における茶道のそれと時を同じくしているらしい。わが国の伝説によれば、はじめて花を生けたのは、初期の仏教の聖者たちだった。彼等は、およそ生あるものに対する無限の心づかいから、嵐に巻きちらされた花を集めて、それを水桶に入れた。足利義政の宮廷における偉大な画家でもあり鑑定家でもあった相阿弥は、初期における斯道の名人の一人であったということである。
茶人による花の崇拝は、彼らの美的儀式の一部をなしていたに過ぎないということ、それ自体が一つの別個の宗教ではなかったということである。生花は、茶室における他の芸術作品と同様に、全体としての装飾計画に従属していたのである。だから、石州は、庭に雪が積もっているときは、白い梅の花を用いてはならない、と定めた。「騒がしい」花は、冷酷に茶室から追放された。茶人の生花は、本来そのためにしつらわれたその場所から移されてしまえば、その意味を失うのである。なぜなら、その線も釣り合いも、周囲のものと睨み合せて、格別に案配されたものだからである。

茶の宗匠の花は、その独特の仕方において芸術であるといえる。そうして、人生とのそれの真実の交わり深さ故に、我々の心に訴えるのである。茶人は、花を選ぶことで自分の為すべき仕事は終わったものと考える。あとは、花が銘々自分の物語を語るのに任せるのである。晩冬の頃おい茶室に入ると、山桜のかぼそい小枝に、蕾の椿があしらってあるのを見る事ができる。それは去りゆく冬のこだまを、春のことぶれと取り合わせたものである。また、何かいらいらするほどに暑い夏の日、昼の茶に招かれて行くと、床の間の幽暗な冷気の中に、掛け花生けに生けられた一輪の百合の花を見出すことができるだろう。露に濡れその花は、人生の愚かさに微笑をもらしているように見える。

花の独奏も面白いものであるが、絵画や彫刻との合奏となると、その組合せはうっとりするようなものになる。石州はかつて、平たい容器に水草を生けて、湖沼に繁茂する植物の相を写し、上野壁には相阿弥の筆になる野鴨飛翔の一幅を掛けた。

花に纏わる話は限がない。16世紀には、朝顔は我々の国では尚未だ珍しい花であった。利休はこの花を庭一面に作った。そうして、たゆまぬ心づくしをもって、それを育てあげた。利休の朝顔の評判が閣の耳に入った。太閣はそれを一見したいという望みを口に出した。そこで利休は、自家の朝の茶に太閣を招待した。その当日、太閣は庭中を歩き廻ったが、どこにも朝顔の跡形さえも見る事ができなかった。地面はならされてあり、綺麗な小石や砂がまいてあった。この暴君は、むっとした面持ちで茶室に入った。だがそこには、一つの見物が彼を待っていた。そして、彼の機嫌はすっかり癒った。床の間には、宋代の細工になる青銅の珍器に、一輪の朝顔が、庭全体の女王が、生けてあった。

こうした事例の中に、我々は「花の犠牲」の意味を残るくまなく見て取る。おそらく花にもその意味がよくわかっているのだろう。花は人間のように卑怯者ではない。花の中には、死を誇りとするものもある。日本の桜の花は、風の前に自分を惜しげもなく任せるとき、確かにそうなのだ。吉野や嵐山の芳しい雪崩の前に立ったことのある人なら、このことを悟ったに違いない。

利休は「花は野の花のように」と述べている。ときとして、人々は慎重に生けたものが自然さを生み出す、という逆説を不思議に思うかもしれない。だが野の花のあるがままの姿を再現することだけが花を生ける目的ではない。慎重に生けた結果生まれた自然さは、やはり花自身の本質を理解し、掴んでこそ生まれるものだ。それ以上に、浮世の煩わしさから逃れ、茶室という静かな空間の中で、床の間を飾ることになった花は、自然の中にあったときには気づかなかった緊迫感を帯びる。実際、花は今目の前に、あるがままの姿でそこに存在するということの独特の相を私たちに訴える。茶の湯において、花を観賞する上で、一番重要なのは、この世のあらゆる人間中心の見方を越えて、物事の本質を深く認識することである。