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2004年サローネ雑感

石田 雅芳(イタリアスローフード協会・日本担当)
Text by Masayoshi Ishida
Photo by Chiiho Sano


苦悩の始まり

セルジョ・フェッシアと会ったのは今年の2月である。国際部が世界中からやってくる苦情に応えるべく、データベースの正常化を目指して、最初の会合を開いた頃。各国担当者たちが朝から晩までコンピュータと格闘し、夏休みにかけて、あらゆるトラブルが発見されることになる。
この時期がテッラ・マードレの実質的な準備の始まりであり、サローネのコーディネートの始まりであり、夢の吉兆ディナー準備の始まりでもあった。さらには、5月のスローフィッシュの出店コーディネートと、6月のスローフード・ジャパン開設に向けての煩雑な準備も始まっていた。加えて、ブラと気仙沼の小学校の交流などのプロジェクトなども平行していた。そんな折、ジャコモから、吉兆ディナーについて、今年もしかしたらOKを取れるのではないかとの打診があり、徳力氏へのコンタクトをしたところ、ある程度ポジティブな返答が得られた。各種リサーチを始める。ジャコモはこの頃あらゆる媒体で、イタリアのキッチュな日本食ブームへの危惧を表明していた。彼の威信をかけて、本当の日本食をサローネへ、という目標が定められていた。
トリノの巨大な青果市場を見に行くために、セルジョと待ち合わせ。朝5時30分トリノの周回道路から入ったところに来るようにとのこと。有名人に会えることは嬉しいが、連日の会議後の早起きはちょっとつらいか…。アバウトな待ち合わせ場所のおかげで、何度も電話してやっと彼の青い車を発見。とんでもなく寒かった。青果市場ではセルジョと謎の日本人の来訪を待ちうける人々。写真を撮ってくれとせがむ人、運搬車でセルジョを轢きに来る人と、あらゆる人でごった返していた。秋に来ても入手できると思われるすべての野菜をデジタル写真に収める。セルジョはどこへいっても人気者。
その後は「トリノのナポリ」と呼ばれる、見るからに雰囲気の悪いマーケットを散策。車のロックをしておくように、財布をポケットに入れないようになど、細かくアドバイスを受ける。ここに協会御用達の魚屋がいるのである。
「何でももってくるから、心配しないように」とのアドバイス。とにかく写真を撮っておく。写真は本部でCD-ROMに焼いてもらい、出来あがったばかりのサローネ資料と共に吉兆へ送付。このCDはイベント・オフィスで人気を博した。スタッフのコンピュータの背景に使われたりしていた。
魚は「活締め」のできる環境を探すことが目標だった。しかしリグリアに住んでいる協会のコラボレーターの持っている船があまりに小さく、生簀を積む場所がなかったこと、材料がその日にきちんと確保できるかどうかが難しく、非常に困難であるとの判断。残念ながら保留となった。さらにこの男、漁の間は携帯が通じない。ということはほとんど連絡が取れない。

料理の原点、水

さて、ヨーロッパで日本食を作るときに必ず話題となる、適切な水をどうやって確保するかという問題は、個人的な興味もあって、この際とことん解決方法を探そうということになった。ある京都の料亭は、水を日本から運ばせたなどという噂も聞いていた。もう少し理性的な解決法はあるはずである。とかくこのプロジェクトは、サローネにとっても話題性が高いし、ある旧交を暖めるチャンスでもあった。
2年前に京都で行われたウオーターフォーラムには、スローフード協会も資料配布ぐらいの目的で参加することになっていた。実際大したことはしなかったのだが、ピエモンテで有機水質浄化プロジェクトを研究しているグループより、スローフードから通訳を派遣して欲しいとの依頼があり、私が急遽行くことになった。ここにはピエモンテ州から、農業大臣ウーゴ・カヴァレッラをはじめとする、そうそうたる政財界のお偉方一行に交じって、SMAT研究所の所長であるパオロ・ロマーノが来日していた。遠くで戦争が始まった日であった。彼のところには、宇宙ステーションやスペースシャトルに水を供給する、世界最高水準の水研究所があるという。そのうえ冗談の分かる愉快な人物としても知られていた。京都での楽しい思いでと共に、京都の水を再現するプロジェクトという話は、思いのほかすんなり受け入れられ、すぐに研究所内にロレンツァ・メウッチをはじめとする若手の研究チームが形成された。
大いに紛糾した6月の湯布院コングレスが終了するや否や、我々の滞在していた銀座のホテルに配送された吉兆の水は、私より先にイタリアへ帰るジャコモとサンドラに託され、イタリア到着の翌日には、車の運転が下手なことで名を馳せているアルベルト・ファリナッソが、早朝自ら協会からトリノまで運転するという、英雄的な行為によって無事配達された。
「言うこと聞かないと、飛行機で水飲んで、トイレの水入れてやるんだから!」と最後までふざけていたサンドラから、国際電話で無事水の配送が終わったことを伝えられた。研究所が指定した時間以内に間に合った。 
後日、分析が終ったとの電話を受けブラのカオスを抜け出し、一人トリノへ出かけ、メウッチ教授との初めての会合。彼女は自信満々である。内容物の詳細な分析はすでに終っていた。最終的には、源泉が異なる3つのボトルを用意し、日本へ発送することになった。一連の作業の出費について、この研究所が負担するという好条件を獲得するためには、彼女の機嫌をうかがいながらの微妙な駆け引きがあった。


吉兆ディナー、危うし

ある日曜の夜に、イベント・オフィス責任者から緊急の電話。今すぐオフィスへ「出頭」するようにとのこと。オフィスで待っていたのは会計局の重鎮ルチアーノ・ピアーナと、イベント責任者マウラ・ビアンコット、その部下でオウムのようなディーノ・ボッリ。このラインナップで事態はかなり深刻であることが分かる。頭の固いうるさ型として恐れられている、あのルチアーノが同席していると言うことは、間違いなくお金のトラブルである。
「400キロの荷物が日本から届こうとしているんだが、莫大な郵送費は誰が払うんだ?おまえが今すぐ日本に電話して、今晩中にこっちが納得できる回答を用意すること。でなけりゃこのディナーはキャンセルして、おまえはクビ。」とのお達し。どうやらこの書類、会長も見てしまったようである。ジャコモも驚いて電話してくる。
「人道的なテッラ・マードレやっている横で、法外な豪華ディナーは、対外的にもよくないのではないか?何とかしなくては...。」
誰もいない国際部のオフィスで日本に緊急電話。7時間の時差もあるし、日本でこんな遅く働いている人いるわけないじゃないのと、内心絶望的になりながらビタミンハウスに電話すると、佐野さんがいつものように出てくるではないか。
「ふぁいぃー。」
おおっ、この人はオフィスに住んでいる!結局この夜のうちに徳力さんも交えて、予算の組み立てをマウラの意見をもとにやり直した。日本時間で朝の5時をゆうに過ぎていた。次の朝、あっという間に佐野さんが郵送業者メンローと話して概算してくれ、結局輸送費はそれほど高額ではなかったと言うことが判明。頑張ればディナーの予算以内におさまるではないか。リストに載っていた物品の金額を、協会が負担しなくてはならないのではという不安と、400キロの荷物という、サローネはじまって以来、前代未聞の材料輸送によるパニックであった。
サローネの記者会見で吉兆ディナーの話を聞きつけ、ぜひぜひアシストしたいというリクエストを、随分前からいただいていた宮本さんを交えて、水研究所との最後の会合。ホテル関係者とは最初の会合。宮本さんはベビーシッターを見つけられず、かわいいサラちゃんつきで登場。パオロ・ロマーノ氏との久々の再会。研究所の人々の労をねぎらう。ホテルでダニエーレ・ジョリットとジャンフランコ・トラヴェルシと会合。このディナーがスローフードにとって、とんでもなく重要だということを強調した。結果、吉兆側から出ていた細かいリクエストを完璧にこなし、ガス調理器も中庭に用意できるとのこと。ダニエーレは終始、何でもするから遠慮なく言うようにという態度で、高いプロフェッショナリティを感じた。ただしこれにはイベント・オフィスのマウラ・ビアンコットがハンコを押せばとの条件があった。つまり事態は困難を極める様相を呈していた。まずは「とびこ」でお寿司のランチをして宮本さんとは別れた。ここのシェフが昔サローネの寿司岩ブースにいた人で、トリノの魚事情に詳しく、ここで入手できる最高のトロを徳岡さんのためならば用意できるという。思わぬ収穫か?
この後イベント・オフィスでの一連の戦い。マウラとオウムのディーノの叫び声が、今でも聞こえるようである。
「ステージなんかどうして必要なのよ?!火は禁止だっていったじゃないの!炭は絶対だめ!」
結局決戦はディナー当日に持ち越された。

問題となった400kg分のインボイス(一部)

もう後戻りはできない

18日はブラ本部でテッラ・マードレのアコモデーションと1日中戦って、夕方にいよいよ吉兆チームのお迎え。セルジョはいつものFIATではなく、奥さんのポルシェで登場。
「これならシェフも文句ないだろう?」
私は大きなワンボックスの運転。
マウラ:「あんたが運転するの?Mamma mia…なんてこった…お願いだから壊さないでね。」
ディーノが後で叫んでいる:「満タンにして返してくれよ。領収書もってこいよ!」 
みんな元気で到着して何より。佐野さんは想像通り緑色の顔をして出てきた。
メリディアンに送った後、セルジョがブラへ送ってくれた。とどろくBGMは、懐かしのスーパートランプ「Breakfast in America」平均時速200キロ。最高時速270キロ。

本番を前にして疲労困憊気味

19日朝からブラ本部でテッラ・マードレのアコモデーションの最終確認と、現地の会場設営。みんな本番を目前にしてすっかり切れている。だれもが一触即発状態。沖縄のグループをはじめ、最終日の部屋がかなり足りない。吉兆チームと愉快なピザ夕食の後、夜中12時に携帯に電話が来た。佐賀県のグループで、飛行場を間違えて立ち往生している女性がいるとの報告。これはスローフード賞を取った武富さんのグループで、決して粗相はできないので、ヒステリックな旅行会社の女の子と、メリディアンの駐車場から電話で30分の口論。この子は最後になぜか打ち解けて、いつかイベントが終ったらゆっくり会いたいと言う。
20日テッラ・マードレの登録作業。昨日のホテルのコンディションが悪く、機嫌の悪い人々をなだめる。どうしても怒っている夫婦のために、無理をしてダブルの部屋を用意する。お湯も出ないらしい。テッラ・マードレ開会式。一年間どたばたして、よくもここまで来たものだ。スローフード・アワードの武富さんと久々の再会。でももう体調の悪い人がいる。明日のワークショプの通訳打ち合わせ。ブラ本部に謎の日本人団体がついたとの報告。協会が用意した同時通訳のレベルが低いとのクレーム。さらにボランティアの女性切れる。
「こんなに働くなんて聞いてなかったです!バッグと靴買ってください。(何だそれ?)」

次から次へと降って沸いてくるトラブル

21日夜中に徳力さんから電話。カツオ節削り機の変圧器が壊れてしまったとのこと。削り機自体は、佐野さんからの写真で確認済みであったため、シンプルな構造であることは分かっていた。夜中中どうしたものかと思案しているうちに、ある人物の名前がふとひらめいた。ここから40キロのアレッサンドリアに住むアルド・グラッサーノ。FIAT500のメカニックとして、これ以上優秀な人間は存在しないだろう。あらゆる工具をつめこんだ伝説的な青いバンでどこにでも現れ、あっという間に車を直すのである。ひょっとして、イタリアのコンセントで動くモーターをくっつけるぐらい朝飯前ではないか?朝吉兆のアシスタントたちと会い、変圧器のヒューズを直すことと平行して解決方法を模索することにし、アルドに電話。5年も会ってない上に、変な用事でごめん!と頼み込み、佐野さんが機械をデジタル写真に撮り、メールで送信すると、子供を幼稚園に送ってからすぐ行くので、もう心配しないようにとの回答。まさに彼のゴッド・ハンドによって奇跡がおきようとしている!!
しかしながらこの素晴らしいアイディアは残念ながら(?)、変換機のヒューズを取り替えたら解決してしまって実行されなかった。ここでもアルベルトが活躍したと聞く。今年のサローネは彼によって救われた。チャールズ皇太子出席のお肉ワークショップに、なぜか肉がなかったときに走ったのも彼だったと聞く。伝説のメカニック、アルド・グラッサーノは、いつでもメリディアンへ駈け付けられるようにモーターを用意して、いつもの奇跡の青いバンで待機してくれていた。

テッラ・マードレにて

長澤さんの発表。有機認証についての問題提起として、プレゼンテーターに高く評価された。徳岡さんと佐野さんと、味のシアターの打ち合わせ。やっぱり湯葉だよぉとの意見で一致。トマトソースはやめようよというのは、佐野さんも私も同感。
日本酒ワークショップでの通訳。ニースの日本人食コーディネーター2人組が企画。酒とシーフード。ジャコモが司会。リーデルの日本酒用新グラスのプロモーションつき。夜は秋田県知事を交えて、いろんな意味で複雑な夕食会。
22日はあらゆる日本人発表者の通訳。普賢岳の発表者、近藤さんカッコ良かった。「生産者と消費者の関係が大切なのです。穴の空いたみかんだって、買ってくれる人がいたから、早く復興できたんです。」
生産者の言葉は時に、アカデミックな研究者の言葉など比較にならないぐらい良いときがある。これがテッラ・マードレの目指しているもの。ワークショプのあとにヴェスビオ火山と生活する生産者たちに取り囲まれていた。話題はじゃがいもをいつ作付けするかなどという、妙にプラクティカルな話から、ヴェスビオの発掘作業に参加している東大の考古学チームの話とか、友好関係を結びたいとかいう話。
午後は秋田知事を連れて、ジャコモさんのサローネ案内。知事が来ているのに対応が悪いと、同行の通訳にクレームを受ける。プーリア州ブースの記者会見へ秋田知事と出席。テレビカメラに取り囲まれて、知事が矢継ぎ早に質問を受ける。
サローネで寿司岩の包丁儀式の通訳。黒山の人だかり。あちこちでジャーナリストたちの陣取り合戦。大変な成功を収める。日本っぽい舞台を急ごしらえすることに成功したイベント・オフィスの面目躍如。そのまますぐに味のシアターでの通訳。少し手際は悪かったが、日本通には非常にうけたようで良かった。国際部長レナート・サルドとイベント・オフィスのアルベルト・ファリナッソの表敬訪問。
23日テッラ・マードレ閉会式。ペトリーニ会長の最後の言葉:
「このイベントは実行可能性を含めて、あらゆる人々に批判されました。理想主義的でユートピア思想だと。しかしながらここに集まった皆さんはユートピアという種をまき、現実という実を収穫するでしょう。あなたたちの存在こそが現実なのです。」
日本人参加者にご挨拶。いろいろ問題もあったけど、それぞれイベントの意義を見出して感動していた。こんなベンチャーで乱暴な催しに、手弁当でやってきた日本人の意識の高さにあらためて驚く。日本人はいろんな深いことを、いとも簡単に理解してのけることがある。今回イベントの趣旨を本当に理解していたのは、日本人だったかも。

ようやく漕ぎつけた本番

吉兆ディナーは、連日のストレスが頂点に達している、体調の悪いジャコモの登場で、早くも黒雲。メニューにスポンサーのワインメーカーの名前が入ってない!一連の大騒ぎ。そう言えば水研究所SMATの名前も入ってないではないか。これはやばいなあ。結局ぐだぐだ騒いだ割には、お酒も予定通り出したけど、ジャコモのあの取り乱し方はいったい何だったのだろう?ちょっと疑問。時折ヒステリックで手がつけられなくなるこの人、付いてゆけないときがあるね。どんな問題があったって、皆でその都度きちんと解決してきたんだから、いまさら驚くことなんて何にもないじゃないのさ、と私は内心思った。ここまで来て、イタリア風の物事の進め方をしているのは、我々の方であった。慣れてないのはイタリア人のジャコモだけ。この数日でみんなすごく逞しくなっていた。ここでも日本人のもつ不思議な柔軟性に驚く。
ディナー中は、佐野さんが紙切れに書いて持ってきたばっかりの情報をぺらぺら解説。料理はジャコモにとっても参加者にとっても全て合格。ジャコモも僕が解説しているそばから知った振りをしたので、テーブルにいるVIPたちのジャコモに対する評判も上々だった。いよいよ「日本通のジャコモさん」の地位を確立しつつある。個人的にはカルド・ゴッボやピエモンテ牛など、料理のアクセントにピエモンテ性があったのはとても良かったと思う。残念ながら最後の栗ご飯の評判はあまり良くなかった。ジャコモ曰く「これは日本料理じゃないよなぁ?」私の席では「お米のカルボナーラ」とも呼ばれていた。穀倉地帯の北イタリアでお米料理を出すのは、ちょっと危険だったかも。

全てを終えて

夜中の打ち上げ。この日絶叫していたフレーズは、イタリア語で書くと、
”O le le, o la la. Faccela veder, faccela toccar !“
オーレーレ、オーラーラー、ファッチェラヴェデール、ファッチェラトッカール!
お願いだよ見せてくれよ、触らせてくれ!
ダニエーレは徳岡さんと固い友情を結んだ。2人とも本当に素晴らしい、爽やかなプロフェッショナル。酔っ払ってホテルに戻ったのが4時すぎ?

それでも仕事は終わらない

24日朝は、くらくらしながらピエモンテブースで開催された愛知万博のプレゼンに出席。昨日から駈け付けているスローフード・ジャパン会長の若生さんにも、多大な期待が寄せられていた。インタビューの受け答えにすっかり感心。相手の欲しい答えを必ず用意しているからである。午後は書類を山ほど持ってきて、国際部長と予算案の折衝。ここらへんも本当にそつなくて上手だなあと感心してしまう。テッラ・マードレやサローネの手伝いをしなかったとか批判はあったけど、この人は陰でたくさんの努力をしていることを、みんなに分かって欲しいと思う。夕方にスローフード・ジャパンの調印式。若生さんは会長が来る前に一生懸命サインの練習をしていた。

吉兆ディナーを成功させたもう一人の立役者

25日はソトコトの吉開さんを交えてSMAT水研究所訪問。メウッチをはじめとして、待望のシェフとの会合ということで、今回のプロジェクトの主要メンバーが揃っていた。新しい味覚研究プロジェクトのメサッドを見ていただきたいとのこと。これは今までの科学的アプローチを補完するものとして開発したもので、ワインの利き酒のように水を扱ってみようというもの。ちょっとはじめての素人には難しいところがあるが、整理された有効な方法ではある。これによって水の感覚体験が、コミュニケーション可能なものとなるということだが、かなりの訓練を必要とするだろう。

あっという間の10日間

26日は雨降り。吉兆チームを送って行く。残念ながらセルジョは仕事で来られず、友人が同行した。私の車が荷物でいっぱいだったため、セルジョに渡して代わりの車を使った。セルジョは最後にリンゴットまで私の車を持ってきてくれたが、どこかで2重駐車をしたため、35ユーロの罰金振りこみ用紙がひらひらくっついていた。
「罰金かぁ?まあ読んどいてくれよ。それより、みんな元気に帰ったかい?よろしく言っといてくれよぉ!」
と叫んで去っていった。最初から最後までこの人なしでは、何もできなかったと、しみじみ思った。

 

石田雅芳(いしだ まさよし/Masayoshi ISHIDA)●1967年福島県生まれ。スローフード協会イタリア本部、唯一の日本人スタッフ。同志社大学文学部文化学科、美学及び芸術学専攻卒業。専門はイタリアルネサンス美術。同大学大学院で修士号取得後、1994年ロータリー財団の奨学生として、イタリアのフィレンツェ大学へ留学。現在もフィレンツェに滞在し研究を続ける。1998年フィレンツェ市の公認美術解説員となる。2002年よりスローフード協会本部の日本担当として活躍中。

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