ディナーに対する想い Part1
Text by Kunio TOKUOKA
スクリーンで見て頂いた最後のシーン、400年前に作られたお皿を高く積み重ね、その一番上にもぎたての苺を置いて撮影した写真についてです。400年の積み重ねと今が融合した瞬間です。新しい物、古い物が独立しているのではなく、上手く融合させる事が重要だと思います。それが国境を越えた時、つまり時間の境界や距離的な境界を越えた時、歴史的に見てもそうであるように、新たなパワーが生まれるのだと思います。枠を超える時の作用が有ると思います。ただそれは、健全で正しいベクトルであって欲しいです。
今、世界の料理界の流れは、「超革新」に傾いていることを肌で感じています。改善されていく事や、その時代に適用していく事は、大変必要だと考えています。しかし、変われば良いという訳ではない様に思います。料理の「超革新」の方向性に、少し疑問を感じています。だからこそ伝統技術の見直しに心を傾けたいと思います。例えば、アジアで古くから食べられている大豆という素材は、味噌になり、豆腐になり、湯葉になり、さらにそれぞれが無数のバリエーションを持つ素材です。他にも、胡麻という素材は、油になり、スパイスになり、ソースになり、ときに豆腐に似た料理になります。
料理のテクニックによって、一つの素材が千変万化します。そう考えると、多くの物が淘汰されその中で引き継がれてきた日本料理の歴史の一片一片こそが、「健全な革新」のようにも思えます。その伝統の延長に、何を付け加えるのか。まず自国の料理の歴史を振り返ることから創作の一歩を始めました。
大切な事は、「ルーツを見直すということ」。それはつまり、素材を知ることであり、素材を作った生産者の気持ちを感じ取ることだと思います。料理を支えているのは、美味しくて健康な食材を作る生産者がいてこそです。現在の日本において、誠実な農業を取り巻く状況はたやすく有りません。生産者たちの情熱を、料理を通じて声高く代弁していくことが、料理の進化への第一歩であり、料理人としての責務であると考えています。
また、良い食材を突き詰め探していくと、どうしても高価な物になってしまいます。スローフードと言うのは、本質的に貧しいという事ではないと思います。価値の分かる方々が、時間や物を本当の意味で豊かに使う事だと思います。
「工夫しだくる思いには、花鳥風月みな料理なり」。
祖父の言葉です。考えて、考えぬいたその情熱は、料理に何らかの影響を及ぼし、人の気持に伝わるものだと思います。
集約すると、私の料理哲学は、「共に生きる」という事です。食事は、色々なものを育みます。体内へのエネルギー補給という役割だけではなく、人と人の絆を育む媒体でもあると思います。仲間と、料理の道を究めるべく師弟・同僚と、テーブルを囲み時間を分かつこと、それは即ち、人と人との絆を育むことに他なりません。そして、生産者とレストラン、その先にいる消費者との関係も同様に育むべきでだと思っています。世代を超え、共に育み合う事が「共に生きる」と言う事だと思います。科学的に解明する事も、新たな境地を生み出す事も、「共に生きる」為の一つの要素だとも思いますが、中心ではないと思います。
新しい料理法、組合せ、違った見せ方も大切ですが、根本は、食べ物という事、「共に生きる」為の物であるという事だと感じています。生産者、料理人、サービス、お客様が一つの料理を通してコミュニケーション出来れば良いと思いますし、その交流がこの料理に関わった全ての人の明日への活力と感じてもらえたならば、それこそが料理人冥利に尽きると言えます。
長く続いて受け継がれてきているのは何故か?「共に生きる」為に必要だからだと思っています。皆様は如何お考えでしょうか?
本日は、日本で育んだ物を皆様にお伝えしたいと思って参りました。ただ、ここはイタリアで日本ではありません。従って、全てを皆さんにお伝えできないことが残念です。しかしながら、少しでも多く私たち日本のことを知り、味わい、感じて頂けるように出来る限りの工夫をしてみました。
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