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歴史に残るディナー

文・加藤和彦
Photo by Chiiho Sano

イタリア人の日本食に対する理解は深く、彼等の嗜好に合っているような所もありかなり受け入れられている。特に北イタリア、ミラノ辺りでは好んで食べる人が多い。和食のエヴァンジェリスト「NOBU」のミラノ店のオーナーはアルマーニであったりと、イタリア人がオーナーのリストランテ・ジャポネーゼが結構ある。したがって純和食と云うよりも昨今のフュージョン系のモノが多く、またそれ等が和食と思っている人が多い。
そのような中での徳岡さんのサローネ・デル・グストでの特別ディナーに対する関心は非常に高く、徳岡さんもかなりナーヴァスになっていたみたいであった。水までも京都から持ち込んで出汁をひく気であったらしいが、結局こちらの水を軟水化させて使ったようだ。材料の調達にも限りがあり、いくら徳岡さんとは言え、若い料理人達を引き連れてきたとしても80人の懐石を誂えるというのは大変で、しかも食にうるさい参加者とあってはナーヴァスになる気持ちも分かる。しかしこの大役を徳岡さんは見事にやり終えたのである。

私達のテーブルは私と「あまから手帖」の門上武司クン以外はイタリア人で、80人全員を見渡しても日本人は我々2人だけであった。京都から連れてきた舞子、芸妓の日本情緒の後(これは多少恥ずかしい気がしたが)冷酒のソムリエによるサーヴィス。これは意外だったらしく「サケ」はホットなのではないか?といった質問がわれらに次々と寄せられた。献立は詳しく挙げないが懐石にしたがい八寸、腕、造り、煮物、焼き物、飯、甘味とやや悠長に運ばれた。普段の「吉兆」料理とは違ってフュージョンぽくもあり、徳岡料理とは思わなかったがこのシチュエーションで良く奮闘したという感じであった。本当は吉兆のアッと言わせる料理を期待していたのだが、さすがに外国であるのと80人という人数に多少の無理があった。しかし全員が食事を終えると満足げな様子で、徳岡さんが現れるとスタンディング・オベイションで歓待されていた事からも分かるが、その料理人としてのアーティスティックな姿勢に評価が表れていた。
改めて日本料理と云うのは難しいモノだなあ、と感じた。味だけでは成り立たず、器、調度、設えなどがそろって始めて成り立つ料理形式で、味だけ分離しても成り立ちにくい日本文化特有の部分がある。しかも材料に寄り掛かっている部分がかなりあり、その構成要素を変えてしまうと料理として成り立たなくなってしまう弱点があるのである。つまり鯛の刺身は日本の鯛であり、オラータ、ブランツィーノ(イタリアの鯛、鱸)では駄目なのである。これを流石徳岡さんは見抜き刺身にも魚を使わず、牛肉のカルパッチョ風で対処していた。この事は80点の(嵐山とくらべて)本懐石を出すより、変型させた方が和食という料理形態を伝達するのには良しとする徳岡さんの姿勢にも表れていて、私は賛成である。
戦い終わった徳岡さんは本当に嬉しそうであった。食べ終えると記憶にしか痕跡を止めず、また二度と同じ物は食せないという食の不思議は、懐石において一期一会という精神を料理に盛り込む事により独特の料理文化として完成されている。味だけではなくそのような精神性をイタリア人に伝えようとしたこのサローネ・デル・グストでの徳岡さんのディナーはきっといつまでもイタリアの食の歴史に残るであろう。

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