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噛んで、噛みまくる徳岡さん

Text by Sayaka MIYAMOTO
Photo by Chiiho SANO

2004年春
「サローネ・デル・グースト」のプレス発表会が、一般に先駆けて行われた。フードライターの端くれの私も招待状をもらったので出かけていく。プログラムを見ると、なんと、「吉兆」がやってきて日本食の晩餐会をやる、とある。もう、どう取材して仕事にしようか、そんなことは頭から吹っ飛んだ。まがい物じゃない、本物の日本食を披露してくれる人がやっと来る。その手伝いをしたい、できるだけいいコンディションで仕事がしてもらえるように私の力をお貸ししたい。そう思うといてもたってもいらなれなくなって、早速プレスの人に、担当者を紹介してもらう。
トリノの街の事情、日本食材事情をよく知っていて、イタリア語ができて、フードライターだから食の知識もある。私以上に徳岡さんの通訳の適任者はいないだろう、と売り込む。

2004年10月18日
とうとう、「吉兆」の人たちがやってくる日が来た。日本食の最高峰の一人、伝統料理の板長…という肩書きに、50歳を越えていて、まじめで堅物、昔ながらの職人気質の怖い人、というステレオタイプのイメージを抱いていた私は、紺のスーツに真っ赤なマフラーをまいて登場した若々しい徳岡氏を見てびっくり。ニコニコと挨拶してくださる感じも、予想していたのと全然違う。

10月19日〜

夕べ日本から到着したばかりだが、朝5時に集合して市場巡りへ。まずは専門業者だけが行ける鮮魚市場へ。トリノ市の計らいで、他の業者、仲買人が入る前に中に入れることに。築地などとは比べようもない小さな市場、その床に積みあげられた魚のケースを見て回った徳岡氏と4人の板前さんたちの顔が、みるみる間に曇っていった。魚がよくないのは、私の目から見ても明らか。どうするかな?という無言の空気が流れる。まあ、他も行ってみましょう、と気を取り直し、とりあえず次は青物市場へ。
こちらは最新の巨大設備の中にイタリア全土とヨーロッパから集まってくる野菜、果物が所狭しと並んでいる。吉兆のスタッフたちにとって初めて目にする不思議な食材も多い。興味を引かれる野菜や果物は、その場でちぎって味見してみる。泥が付いていても、モグモグ、モグモグとよく噛んで、よく噛んで、じーっと考えては、また噛んでいる徳岡さん。味を分析しているのか、イメージを組み立てているのか。やはり、普通の人ではない。

野菜、果物にはまあまあの成果を得て、青物市場を後にする。その後、更に2カ所ほど魚の市場を見に行ったものの、活け締めという技術を使わないイタリアでは、魚の基本的な扱い方も違うので、日本のような鮮度のいい、状態のいい魚はなかなか見つからない。
これがいつも、イタリアで、トリノで、日本食を再現するときのネックになる。おいしい魚はあるのだが、いつもあるとは限らない。70人分を、今週の土曜日に、と条件が限られたときに、どうするか、というのが難しい。
午後、少し買ってきた気になる食材を使って試作。厨房を提供してくれるホテルのレストランのシェフたちに味見をしてもらう。茶碗蒸しはすごくうける。栗ご飯は不評。米もパスタの一種と考えてアルデンテに仕上げるイタリア人にとって、芯の残っていないご飯はベチャベチャのへたくそな調理と思われるかも、というアドバイス。真っ白な美しい銀シャリをだしてはどうなんだろう、と私なんかは思ってしまう。パルミジャーノソースなんかかけたら、イタリア料理みたいだ。でも真っ白な艶々のご飯に、ジャコや漬け物が最高、と思えるのは日本人だからか?徳岡さんは外国人に食べさせた場合、というのを熟考しているのだろう。
晩餐会を行うホテルのレストランは、他の外国人シェフも使うし、なによりレストランの通常営業があるので、普通に仕事をするような時間にはなかなか自由に使えない。それをイタリア人シェフたちから言われる度に、通訳するのが申し訳ない気分。世界の一流シェフを呼ぶんだから、スローフードも、もっといい環境を整えてあげればいいのに、と私などは思ってしまうが、徳岡さん初め青年板さんたちは、文句一つ言わず、夕方寝て、夜中に起きて作業する、というスケジュールを組んだ。時差ぼけもあって辛いだろうに。身体を壊さないでください。
ホテルのレストランのシェフ、ダニエレさん、青果業者で買い物、仕入れなどをすべて手伝ってくれるセルジョさんたちが声を揃えて言っていたのが、徳岡さんの人柄だ。彼らは他にもたくさん「偉大なるシェフ」たちがここで晩餐会をするのを何度も見てきたが、みんな「いばっていて、下で働くコックさんたちはガチガチに緊張して、ムードも悪く、力を発揮できない感じ」の人が多いという。私も、フードライターという仕事柄、何人も、そういうシェフたちを見たことがあるし、話にも聞いたことがある。もちろん、人柄がいい=仕事の能力がある、とは限らないが、徳岡さんのように料理界の因習を破って(?)、厨房の外では友達のようにふざけあい、仕事の時は自分からさっさと働く、というような態度は、自ずとスタッフの力をよく引き出して、結局自分にも得なのではないか。頭がいい人なんだろうな、と思う。
生のマグロはどうしてもいいものがない。ある日の昼食にレストランでピエモンテ風タルタルステーキを食べた。ピエモンテでは、昔から仔牛肉を生で食べる習慣があることを私がお話しすると、牛肉で行ってみようかと思われたらしい。最高級のピエモンテ牛を業者の人に持ってきてもらい、試食する。同じ部位の肉を、こっち側とあっち側、切り方を変え、いろいろして、また噛んで噛んで考える徳岡さん。

10月23日、そして
イタリアの素材を生かすことを考えるあまり、メニューがイタリア料理に近すぎているのではないか?という議論、そして本番直前、水の違いのせいか、水ようかんが固まらない、などいろいろあったけれど、晩餐会は大絶賛のうちに終わった。徳岡さんは納得がいかなかったような表情だったし、いくら私やスローフードの石田さんが「みんな満足そうでしたよ」と報告しても、自分で見ていないから本当にそう思えないのはしかたがない。でも、食事を終わってのんびりとくつろぐ人たちの雰囲気を見れば、おいしかった、素晴らしかったのは一目瞭然。いい食事をしていない人たちはすぐ帰りたくなるものだし、あんなに和やかで幸せそうな感じにはならないものだ。お代わり、の注文があんなに入ったのもその証拠だ。

「今夜の食事が気に入っていただけたのだとしたら、それはみんな、僕を助けてくれた人たちのおかげで、失敗だったとしたらそれはみんな僕のせいです」と、最後にホールへ出て挨拶した徳岡さん。あんなことは、言えそうで言えないものだと思う。
24日、アルバへお連れすると、今旬の白トリュフを購入された。茶碗蒸しに使ってみようとのこと。最高級のアルバ産白トリュフはその香りが命なので、シンプルな卵料理やパスタ料理によくあう。茶碗蒸しはすごいことになりそうだ。京都へ食べに行けないのが残念。
帰る前の日の晩、初日に行った、イタリアで10指に入ると言われるナポリ・ピッツァの店へもう一度行く。ピザを食べた後、初日に味見したトマトソースのスパゲッティがおいしかったと、2度おかわりをして食べていた徳岡さんと青年たち。市場で野菜を食べていたときのように、やっぱり、ムチャムチャ、ムチャムチャ、噛んで噛んで、考えている。こうして新しい味を追求していくのかなあ。

宮本さやか(みやもと さやか/Sayaka MIYAMOTO)●PR代理店勤務の後、25歳でフリーライターに。食に強い興味があったので、徐々にフード専門ライターへとシフト。1995年イタリアはピエモンテ州のプロ専門料理学校へ留学。そのまま居着いてしまい、現在はイタリア人の夫と娘と共にトリノで暮らしつつ、ライターを続けている。一方、イタリア人相手に日本料理を教えたり、ケータリングの企画なども。著書に『ピエモンテのしあわせごはん』(ペンネーム・島津さやか メディアファクトリー刊)『北イタリアでおいしいものを食べる、買う』(文化出版局)他がある。

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