徳岡邦夫の世界
日本の伝統を継承しながらも、
イタリアの素材を取り入れる、粋なはからい
TEXT Chiiho Sano
Photo Takeshi Kadokami, Chiiho Sano
サローネ・デル・グストの会期中に開催されたディナーは全部で49人のシェフによって饗された。イタリア国内はもとより、世界各国の著名な料理人が招聘され、地元のリストランテ、ホテルなどを会場に行われた。その一つが、昔FIATの工場跡地を改装して作られたメリディアン・リンゴットホテルである。
遥か遠い国、日本から招聘されたのが、吉兆の徳岡邦夫氏。吉兆と言えば、その知名度は京都だけに非ず。一流料亭である。「嵐山の雰囲気をそのままイタリアで表現して欲しい」という要望に応えるべく、イタリアという、凡そ異なる食文化を持つ地で、イタリアの素材を使って嵐山の雰囲気を如何に表現するか。周囲の期待は当の本人を余所目に、大いに盛り上がっていた。
異様なまでの期待を背負うことになった徳岡邦夫とは、一体どんな料理人か。日本では、吉兆という大きな看板を背負い、日々感動を与えるべく、料理に腕を振るう。その割には、意外なほど気さくで、とてもチャーミングな方である。とりわけ、目が優しい。そして、常に笑っているか食べている。今でこそ料理の世界にいるが、若い頃はスポーツマン、ミュージシャンなどに熱中していたのだとか。しかし、プロのミュージシャンになる夢を諦め、20歳の頃に料理の世界に入り、'95年から嵐山吉兆の店を任され今に至っている。
さて、このディナーに対する徳岡の思いは、「共に生きる」ということ。「食は、栄養補給のためだけにあるのではない。食を通じて、仲間、師弟、同僚、家族とテーブルを囲み時間を分かつことで育まれる絆を大切にしたい。また、皿の向こうにいる生産者や流通業者などの努力を理解し、感謝し、関係を育みたい」今宵創りだされる一皿一皿が、時代を超え、世代を超え、業種も人種も超えて、「共に生きる糧」になることを切望して止まない。
そして、生産者、料理人、サービス、お客様が一つの料理を通してコミュニケーションするということは、即ち、「消費者の食卓と生産者の想いを繋ぐ」という、スローフードの運動に他ならない。
同じ理念を持つ徳岡をスローフード協会が日本の代表に指名したことで、彼の想いをイタリアという地で試す機会が与えられたことになる。しかも、純日本料理で、だ。
そう思えば、イタリアに居ながら、しかも日本人でさえもなかなか足を踏み入れることの出来ない吉兆というブランドを堪能でき、さらに言えば、あの吉兆がわざわざ頭を捻りイタリアの食材で懐石を新しく創り出すなどという贅の極みは、羨ましい限りである。
今、世界では日本料理がブームである。日本人としての感覚や日本食材、技法を駆使したジャパニーズフレンチやフュージョンなどという言葉が流行ることをとってみても、完全なる日本料理と言えるものは、まだまだ少ない。日本料理に潜む神秘性、伝統がもたらす芸術性とイタリアの素材が、皿の上で繰り広げる味のクロスオーバー。ディナーという最高の見せ場で凱旋行進曲は鳴り響くか。今、正に幕が上がろうとしている。
プロローグ
京都・嵐山の映像が映し出された後、照明が落とされ、長唄「月」の冒頭部分、笛のソロが奏でられる。 |
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1品目:お向八寸
笛の音に誘われるように、蝋燭を灯した1品目の八寸が運ばれてくる。花形の朱漆の器の上に展開される幻想的世界。大根で灯篭をイメージし、その中に蝋燭を立てている。大根の皮から洩れる蝋燭の火に花形にくり抜いたオレンジが照らし出される。これを器に見立て、焼霜海老の酒盗和え、ひじき、カルド鳥皮和えを盛る。季節感を盛り込み、生産地の風景や生産者、調理した人間の顔が見える料理を目指す。見て味わう要素だけでなく、心に訴えかけてくる品々。日本酒と共に。
【一言】八寸とは利休居士が京都洛南の八幡宮の神器からヒントを得て作ったといわれるもので、そもそもは、八寸角の杉のへぎ木地の角盆を意味した。やがて、それに盛られる酒肴のことを意味するようになり、現在では献立の名称となっている。
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2品目:お椀
2品目に据えているのはお椀物で、コースのなかでも特に風味と香りに重きを置いた料理である。昆布と鰹、塩としょうゆを基本にしただし汁で、季節の食材をいただく。今回は、胡麻から作った豆腐と地中海で取れた鱈。柚子の香りが何とも食欲をそそる。器は、木地を削り部分的に漆を数回塗り固め、そこに金で色々な花の蒔絵が描かれているお椀を使用。これは、日本から持参。
【一言】だしを取るときに使う昆布や鰹節は、驚くほど手間と時間がかかる。例えば鰹節を作るには、様々な行程を経て硬い固まりになるまで約6ヶ月。それを削り、暖めた昆布の出汁にさらすと濃縮な出汁になり、この2つの要素が日本料理のベースを作る。調味料は塩と醤油。色々な種類や使い方が有るが、基本はこれらを食材や調理方法によって組み合わせること。
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3品目:徳岡風ピエモンテ生牛肉
3品目、これが今回一番苦労した一皿といっても過言ではない。当初お造りということで、地中海で獲れる活きの良い鮪を使うはずだった。しかし、処理方法の違いから、お造りとしてはとても使える状態ではなかった。そこで鮪の代役となったのが、牛肉。生肉を使い徳岡風にアレンジしてみせた。ジャガイモのピューレ、揚げ米、揚げにんにくを添え、和辛子と一味唐辛子で気の利いた飾りつけ。この料理、特に好評を得た。それもそのはず、使った肉は何と、ピエモンテ産の牛肉で、スローフードのプロジェクトの一つである、「味の箱舟」に選ばれているもの。お皿の上に載った牛肉を見て、誰がどこでどんな風に育てているか、そういう風景が目に浮かんだ人も多いことだろう。生産者を含め、多くの人と気持ちが通い合うことができた一品。料理人冥利に尽きる。
【一言】「味の箱舟」=アルカとは、消え行く良質な食品を守るためのスローフード活動のプロジェクト。97年に開始し、既に約500品目が箱舟に選ばれている。ピエモンテ州産の牛肉もその一つ。そして、ピエモンテ州とスローフードは切っても切れない関係にある。というのも、州政府は「サローネ・デル・グスト」に1億円以上の資金を出し、イベントを成功させることを担い、同時に、このイベントに集まった人たちに、地元のワインや食材、歴史的建造物の紹介、そして観光と、地域産業の振興にも大きな役割を果たしている。
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4品目:茶碗蒸し
ディナーに集まったお客さんから大絶賛を受けたのがこの茶碗蒸し。しかし、完成までの道のりは決して容易ではなかった。使う材料はシンプルにポルチーニ茸とほぼ決まっていたのだが、当初、それを炭火焼にする予定だった。そのつもりでかんてきまで予め送っておいたのだ。ところが、直前になって使えないことが判明。その時点で炭火焼は諦めた。次なる問題は水。SMATの協力により、嵐山吉兆の水を再現してくれたのだが、全く同じではない上に火加減が違う。思い通りに卵が固まらない。茶碗蒸しは本番までに何度も試作した1品だが、その都度キッチンでは細かい調節を余儀なくされていた。最終的には、ぎりぎり固まっているかどうかの赤ちゃんの肌以上に柔らかい食感で出された。そして最後の盛り付け。サービス担当の方の協力もあって、一人一人のテーブルの上で、削りたての鰹節を茶碗蒸しの上に盛った。湯気に微妙に踊る鰹節のコミカルさと、その時に醸し出す芳しい香り。食べる前から食欲をそそる目で愉しませた1品。お代わりの要請もあったことからも、この茶碗蒸しの人気が伺える。
【一言】日本料理には必ず季節感を感じさせるものが織り込まれる。つまり、季節に敏感な日本人には、「旬」ということが料理に重要な意味を持つ。旬というのは、季節の味を少しばかり先取りすること。茶碗蒸しの季節感は、キノコの王様、ポルチーニ茸。贅沢に使ったポルチーニ茸の味と香りがベストマッチ。えも言われぬ一品。
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5品目:魚の揚げ物
醤油ソース初日に野菜市場に行って色々と試食しながら決めた野菜や豆を色とりどりに組合せ敷き詰めた。その上に鱈のフライ。そして、3種のハーブペーストをあしらい、3通りの味付けを楽しむ。さて、この一品はイタリア素材のオンパレード。しかし、其処彼処にジャパンが潜んでいる。先ずフライ、一見普通の何でもないフライに見えるが、柿の種をクラッシュしたものを衣にしている。柿の種を知らないイタリア人がこの味に気づくはずはないのだが、この独特の味に柚子と醤油風味のソース。これが美味しいと評価されたなら、日本人として、ちょっぴり自慢できる気がする。とはいえ、考え出したのは徳岡氏であるが。
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6品目:栗ご飯
評価が分かれた1品。旬の栗をふんだんに使った炊込みご飯に、生クリームとパルミジャーノチーズで作ったソースをかけた。洋風に言うならば、リゾットである。米の固さは人それぞれ好みがあるが、一般的には日本の炊込みご飯に芯はない。しかし、リゾットなるもの、アルデンテでなければ失敗作とみなされるほど、イタリア人のリゾットにおける米の固さは重要なのである。根本的な違いが産んだ結果であって、間違いだの失敗作だのと言われる筋合いはないのだが、そこはイタリア人たるもの、譲れないところなのだろう。しかし、この味、日本人にはなんとも洋風的であるにも関わらず、どこか懐かしい味がするのである。その証拠に、日本人には好評であった。(奈良時代の面影を今に投影した一品。)
【一言】イタリアではお米のことをリーゾと呼び、ルネッサンス時代にアラブ人によって広められたのがリゾットの始まり。今やリゾットはイタリアの代表的お米料理となっている。さて、このイタリア風炊込みご飯・リゾット、日本との最大の違いは、お米を炊かずにバターやオリーブオイルで炒め、スープでコトコト炊く点。ポイントは、パスタと同じようにアルデンテに仕上げるところ。ところで、日本人とチーズの出会いは、1300年前の飛鳥時代まで遡る。当時のことが記録された「右官史記」の中に「文武天皇四年(西暦700年)十月(新暦11月)文武天皇が使いを遣わし、"蘇"を作らしむ」という記述がある。ここで記されている"蘇"が現在のチーズの元祖と言われるもの。その後、奈良時代には、チーズをはじめとする乳製品が渡来し、「酪」や「蘇」、「醍醐」と言われていたが、当時はあまり普及しなかった。しかし、バランス栄養食という地位を獲得したチーズは、その後すっかり定着し、我々の食卓の幅を広げた。(とはいえ、一人あたりの年間チーズ消費量は、フランス、ドイツ、イタリアなどには遠く及ばず日本は12位。トップのフランスの約10分の1の量しかない。因みに、1992年より11月11日は「チーズの日」に制定されている。)
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7品目:デザート
今更説明するまでもない、小豆で作る水羊羹と抹茶。イタリアのデザート・ドルチェほどの見た目と量の満足さはないが、この水羊羹は、小豆がしっかりしたコクを出しながらもとても上品で、どことなくチョコレートを思わせる。ガラスの皿に盛ったことによる色のコントラストも見事。苦いとされる薄茶(抹茶の一種)との相性もぴったり。 |
イタリアで生まれ変わった日本文化の新しい形
懐石料理は非常に完成度の高い芸術である。この懐石料理に代表される日本料理の特色は、食材の持つ固有の味を余すことなく描き出すことにあるといえる。材料を見て、これをどう料理しようかと考える。同じ食材を煮るとしても、種類や産地、鮮度などを考慮して調理する。素材の味を食べさせる日本料理は、ただ美味しいだけでは物足りない。つまり、単なる技術だけではなく、美しい味を表現する必要がある。(素材を前にして心の中に自分の目ざす最も美しいものをイメージ化し、それに形をつけ、最後に味をつける。)この創作は、画家や彫刻家が心の中に描いたものを形や色彩として具現化するのと同じである。
創作過程において、伝統を受け継ぐ料理人が出会った素材からインスピレーションを受け、新しいイメージを試みることで、常に新しい命が生まれる。この努力は大変なものだが、この機会がある限り懐石料理は形骨化することはない。
無謀とも思えた海外での懐石料理によるディナー。徳岡のロマンの勝利か。徳岡のディナーは、作る人から食べる人へ、「共に生きる」というメッセージを確かに運んだのである。
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