Basis of
Cuisine
(原点にある水)
Textby Chiiho SANO
味の核を為す水。
幾ら最上級の鰹節、昆布を用いようとも、それらを受け止める水が悪ければ水の泡。
一番身近な存在でありながら、知っているようで知らない水。
処変わって初めて気づくありがたさ。灯台下暗しである。
【日本の水、ヨーロッパの水】
日本の地下水は、地下に留まっている期間が短く、地中のミネラル分の影響が少ないため軟水となる。逆に、ヨーロッパなどの大陸の水は、石灰岩が多い上に、地下の滞留期間が長く、ミネラルが過剰に溶け出してしまうことで硬水となる。ヨーロッパには、硬度が200〜300以上という水もあるほどで、軟水に慣れている日本人には少々厄介である。ヨーロッパでは石鹸が泡立たないということをよく聞くが、これも水の違いが原因である。硬水の中に多量に含まれているカルシウムやマグネシウムが石鹸の脂肪酸と結合し、水に溶けない形になって沈殿するからである。
世界の中でも特に水に恵まれている日本の軟水と、料理にはあまり向いていないが、カルシウム、マグネシウムなどのミネラルを豊富に含んでいるヨーロッパの硬水。この水の違いは料理方法に決定的な違いをもたらすことになる。
【日本料理は水の料理】
中国料理が「火と油の料理」と言われるのに対し、日本料理は「水の料理」と言われる。
世界中のあらゆる料理の中でも、水がこれほど重要な位置を占める料理は日本料理以外にはないだろう。日本の自然が、水の恵みをもたらし、この潤沢で良質な水が日本料理を生み、素晴らしい食文化を創造し、旬を愛で、季節毎の新鮮な食材を口にすることを可能にした。
日本料理の世界では、昔から水の様々な利用方法が考えられてきた。典型的なのが水洗い。生臭さを洗い落とすのと同時に刺身の鮮度を保つために、鯛や鰺、鯖などの頭や内臓を取り除き、流水で綺麗に洗い流して水気をふき取る。これが水洗いで、この後三枚におろして刺身や焼き物、煮物などの料理に仕上げていく。野菜は、葉緑素を色止めし、緑の鮮やかさを失わないようにするために、茹でて水にさらし灰汁を抜く。吸い物や味噌汁の決め手となるだしも、水の善し悪しが味を大きく左右する。特に、日本料理の基本であるご飯とだしは、水がその味を決めると言っても過言ではない。
このように、日本料理は水をできるだけ逃がさない料理方法を考案し、発達させてきたのに対し、ヨーロッパや中国の料理は、率先して水気を飛ばす方法を取ってきた。しかし、これにもきちんとした理由がある。
【硬水を封じ込めた中国・ヨーロッパの料理】
ヨーロッパや中国の水でたん白質を含んだ肉や豆を煮ると硬くなることから、昔の人はこの水を経験的に硬水と呼んだ。これが「硬水」という語源かどうかはさておき、この硬水を如何に料理に適用したのか。
中国料理やフランス料理では、牛や豚の骨を構成する不溶性の高たん白質であるコラーゲンを長時間お湯で煮て可溶性のたん白質であるゼラチンに変え、次に、このゼラチンを硬水に含まれるカルシウムやマグネシウムと反応させ「灰汁」として除去することで、硬水を軟水として味付けする調理法を確立したのである。この技術を用いれば、硬水であっても、西洋料理のスープストックや中国料理の湯(タン)が作れるのである。
また、経験上、硬度の高い水で豆や芋を茹でると硬くなることを知っていた中国人は、日本のように水で茹でる方法ではなく、蒸し煮にする調理方法を確立させた。蒸気で蒸せば石灰やカルシウムなどの硬度成分は豆や芋に接しないので硬くならないのである。
更に、野菜についても、中国料理ではまず油で炒め、次にとろ火で加熱する煮込み方法をとる。野菜に含まれている水を利用して材料を柔らかくするのである。ヨーロッパでは、牛乳やワインを加えて煮ることも多い。
主食の米も日本とは大きく異なる。研ぐだけでもかなりの水を要し、更に水を加えた釜に蓋をして炊き上げる日本のご飯には、大量の水が含まれており、ご飯は水を食べているようなものである。一方、ヨーロッパや中国では、水で米を直接炊く方法は取らず、油で炒めてから水を加えて煮る方法が確立された。これらの調理方法をとる代表的な米料理としては、ヨーロッパのピラフ、スペインのパエリア、中国の炒飯などが挙げられる。
【ワイン、ウイスキー、酒。そして水】
そして、ヨーロッパでワインが、イギリスではウイスキーが発展を遂げた理由の一つに、この水の違いがあるというのは少々強引だろうか。
ワインは、葡萄を発酵させ、葡萄に含まれる糖分と水分だけで作るため、水の品質が直接ワインの善し悪しに影響を与えない。それに対し、ウイスキーは仕込みに使う水が品質を左右するほど、水は麦や酵母と並ぶ大切な原料の一つである。このことは、バランタイン社の紋章に大麦、ポットスチル、樽に並んで水が主要な象徴として掲げられていることからもわかる。
キリスト教が広く浸透していた中世では、修道僧の教義にワインは欠かせないものだった。聖書の中にはワインが500回以上も登場し、「キリストはブドウの樹で、11人の弟子は枝である」と言い、最後の晩餐では「パンは我が肉、ワインは我が血」と言い残していることから、ワインは「生命の水」として儀式には欠かせないものとなった。このため、ワイン造りも修道僧が中心となってブドウ畑の開墾と、ワイン醸造技術に力を入れるようになったのである。そして、紀元392年、ローマ帝国がキリスト教を国教と認めたのを機に、ワインは更なる発展の第1歩を踏み出し、後のワイン造りの発展に大きく貢献することとなった。
ヨーロッパ諸国の中でもウイスキー作りが盛んになったイギリスは、日本と同じ島国で、水の質も日本に似て軟水である。仕込みに使われる水は最終的なウイスキーの出来映えを左右するといって良い。つまり、良いウイスキーを作るためには、良い水のあるところを選ばなければならないのである。ウイスキーの仕込み水は、飲んでおいしいのは勿論のこと、発酵の際に酵母が活動しやすいミネラルがバランスよく含まれている必要がある。こうした条件を満たす水で実際にウイスキーを醸造し、最良の結果が得られる水が見つかるまで、何年もかけてウイスキー作りの地を求め続ける。反対に言えば、蒸留所があるところは、飲んでおしい水に恵まれた場所であるといえる。
当時、今ほど科学的に色々なことが説明されていたとは思えないが、経験的にこの水の違いを分かっていたから、ヨーロッパではワインが生命の水として発展を遂げ、水が国の気候を形作る重要な要因といわれるイギリスでウイスキーが発展を遂げたのではないだろうか。
しかし、ウイスキーに限らず、環境が汚染されては、良いお酒は造れない。かけがえのない地球の環境が、そして清冽なる源泉がいつまでも保たれることを願わずにはいられない。
日本料理の命、だし。
選び抜いた素材、研ぎ澄まされた感覚、一瞬のタイミングによって産み出される。
そのだしを使った椀物。蓋を取った時に真っ先に感じるのが豊かなだしの香り。
季節を感じさせる主役に負けず劣らずの存在感。
【軟水が引き立てるだしの味】
新鮮で風味豊かな季節の材料を生かして淡白な味に仕上げるのが特徴の日本料理。その味の基本は昆布と鰹節でとる「だし」。「だし」と一口に言っても、そのひき方も用い方も様々。幾種類ものだしが料理や季節、食材によって使い分けられる。決して表舞台に堂々と姿を現すことはないが、日本料理において最も重要と言っても過言ではない。そして、そのだしの善し悪しを決める最大の要素といえば、やはり水であろう。この水に塩素臭があったのでは、どうしても風味のある良い「だし」は取れない。
一般的に、だしの取り方は大きく分けて2つある。干し海老や干し椎茸などを常温の水で戻すやり方と、昆布や鰹節などをお湯で煮出すやり方だ。戻す場合は、熱を加えないため水そのものの質がだしの味を大きく左右する。塩素が強く、臭いのある水道水などはご法度。だしの微妙な風味が打ち消されてしまうのは言うまでも無い。ミネラルウォーターでも個性の強い硬水は不向きである。一般的に最適だといわれているのは、抽出力の高い軟水で、硬度が2.8度(50mg/l)以下のものである。煮出す場合は加熱することが前提だが、やはり硬水は不向きである。鰹節に含まれるたんぱく質はカルシウムやマグネシウムと結合しやすく、昆布のグルタミン酸も水に溶け出しやすい特徴を持っている。また、旨味の素であるアミノ酸や核酸系の物質もカルシウムと結合し、アクとなって出てしまうのである。
「だし」に限らず、硬度の低い水を使ったほうが素材の持つ味をうまく引き出すことができる。日本料理に欠かすことのできない椀物は言うに及ばず。お造りから煮物に至るまで、殆どの料理が水と深く関係し、それ故、水の善し悪しが味を大きく左右する。日本料理を育て完成させる立役者。それこそが日本の主流である軟水である。
しかし、裏を返して言えば、海流が交差する島国という立地、降雨量の多さ、中央に走る山脈、素晴らしい水、こういった気候風土が日本食を作り上げてきたのであり、気候風土と食文化は互いに密接な関係を持っているのである。地球上には、雨が殆ど降らない地域に住む住民や、半年以上を極寒の気温のもとに住む民族もあり、気候風土が変われば、食生活が変わるのは当然で、それぞれの民族には必ずその気候風土にあった食文化がある。つまり、その土地の料理にはその土地の水が合っているという考え方であり、その土地で採れる食材は、その土地の水で調理されるのが一番合っているといえるのである。このことは、当然トリノという土地にもあてはまる。
【郷に入って、郷に従えず】
島国日本。素晴らしい食文化を創造し、旬を愛で、季節毎の新鮮な食材を口にすることのできる日本人は非常に幸せである。そんな日本も、海外の文化を数多く受け入れる国際色豊かな国として発展を遂げたが、こと、食生活に関して言えば、その多様化、高級化は急激に進み、“世界の美味”に対する関心や注目度は高まる一方である。また、海外で、最初に困るのが言葉ならば、一番先に現地を体験し、遭遇するのは食である。食は、人間が生きて行く上で当たり前のように必要なことだが、同時に重要な文化でもある。美味しいという感覚は言葉を超越することを考えると、食の交流は、新しい食の文化を作り出すだけではなく、常に異文化コミュニケーションのツールともなりえる。
さて、今回正しくこの異文化コミュニケーションの役割を担うことになったサローネ・デル・グストでの吉兆ディナー。異文化とは、通常は異文化に触れたいと思う側が、異国に来て経験するわけであるが、今回はその時点からも少し異なる。つまり、日本文化に触れたい人の為に、日本から食文化、それも嵐山吉兆を輸出することになったのである。「郷に入れば郷に従え」という言葉があるが、今回ばかりは郷に従えないのだから大変である。その筆頭が水の違いであったことは言うまでもない。
参考:「おいしい水が作る日本の食卓 岸 朝子」
2004年5月、サローネ・デル・グストの会場となるトリノ・リンゴットにて、このイベントの記者会見が開かれた。「これからは日本に重点を置いてゆくべきだ!」とのスローフード協会・ペトリーニ会長の言葉を受けるかのように、吉兆ディナーの実現可能性についても触れられ、関係者一同大いなる期待を持った。
そして、この記者会見とほぼ時期を同じくして、水問題に一筋の光が差し込んだのである。
会期は10月末であるから、実に半年前の事だった。
【たかが水、されど水】
「トリノで吉兆の水を再現する」。この突拍子も無い水問題の解決策は、宇宙ステーションやスペースシャトルに水を供給する、世界最高水準の水研究所Societa'
Metropolitana Acque Torino S.p.A.(以下、SMAT)の協力によってその一歩を踏み出すこととなった。この協力は、スローフード協会本部の日本担当・石田氏に負うところが大きい。SMATとの所長パオロ・ロマーノ氏(イタリア語表記、確認中)と石田氏は、2年前に京都で開催されたウォーター・フォーラムで知り合っている。2年の歳月を経て再会を果たした両氏。そして、嵐山吉兆。二人が出会った場所が京都なら、その京都を代表する料亭が嵐山吉兆である。京都というキーワードで結ばれたトライアングル。偶然にしても運命的なものを感じる。
【吉兆の水、トリノへ】
6月末、スローフード・ジャパン創立に合わせて、国際本部のジャコモ・モヨーリ氏、石田氏が来日した。そして、記者会見、湯布院でのコングレスなどの全日程終了後、帰国を明日に控え銀座のホテルに戻ってきた彼らを訪ねた。
「サローネ・デル・グスト」に吉兆ディナーを推薦したジャコモ・モヨーリ氏と会って強い印象を受けた。黒っぽいスーツにノーネクタイ、人懐っこい笑みを浮かべた男にどれだけの強い情熱と信念が宿っていることか。トリノで吉兆を再現する。膨大にして煩瑣、周到な準備が必要だ。たった1度のディナーではあるが、この一度の機会を出発点に発展性を持たせるためのディナーにしなくてはならない。懐石料理が初めて海を渡る。このディナーは、間違いなく今年のイベントの最大の注目の的であり、ジャコモ氏が何としても成功させたいと切に祈ることの一つであった。異国の地で腕を揮える機会が提供されたことに心を躍らせながらも、同時に、食材や器材の違い、些細なこと一つ一つに思いをめぐらし不安になった。
そして、たった今直面している水の問題。この男に「吉兆の水再現」の一歩となる実際に吉兆で使っている水を託すことになる。トリノではSMATのメンバーが、今か今かと、その到着を心待ちにしているのだ。
ジャコモ氏の帰国と共に、吉兆の水が海を越え一足先にトリノ入りを果たす。6月28日のことだった。
続く・・・。
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