いま、世界中から日本料理に恋している。ヘルシー≠ゥらクール≠ヨ日本食の受けとめられ方も変わりつつある。世界は日本食のなかに何を見出したのか?何が彼らを夢中にさせているのだろうか?
写真:ある日のコースの八寸よ 金蛤(このこ)、サザエ(赤貝ヌタ)、金赤貝(鮑酢)、ふきのとう田楽、海老旨煮、厚焼卵、油目木ノ芽焼、牛舌旨煮
いま、なぜ日本食が世界中でもてはやされているのだろうか?
この問いを解くための最初の手がかりは、私たちのふだんの食事。日本人の食事といえばごはん(粥)とおかず、そして汁。一汁一菜が現在までつづく基本だ。幸い日本は四方を生みに囲まれ、野や山では食用に適した草や実が豊富にとれる。山海の幸は生でも、うまいし、火で炙ったり鍋で煮れば違う顔を見せ、主菜や汁の具になる。素材がよいのだから複雑な調理の必要もない。日本料理のシンプルさは、一汁一菜という食のスタイルと自然環境から生まれるべくして生まれたのである。
二つ目の手がかりは、ごちそう。もともとは功を成した人の労をねぎらうもてなしの料理のことだが、転じて特別な日のぜいたくな料理のことだが、転じて特別な日のぜいたくな料理、晴れの食事の流れを汲むのが、室町時代に貴族階級の間ではじまった「本膳料理」、桃山時代に茶事の際の食事として生まれた「懐石」、江戸時代の上級武家や富欲な商家などを起源とする「会席料理」など。上流社会のごちそうをとおして、日本料理は豊かなバリエーションとさまざまな調理技法を手に入れた。三つ目は、そば屋。江戸時代半ばにそば屋が誕生し、後半にはすし屋や鍋もの屋など、手軽に食事のできる専門店や屋台が相次いで生まれた。この流れは庶民の食に大きな変化をもたらし、以降、日本の食のスタイルの大きなパートを担うことになる。四つ目は、黒船。日本食のなかで外国の影響をまったく受けていない料理は数えるほどしかない。醤油も味噌も納豆も、もとはといえば外来の食べ物。先史時代から私たちの食は大陸や南方諸島の食文化の影響を受け、絶えず変化しつづけてきた。なかでも稲作、仏教の伝来以来の最大のエポックとなったのが、150年ほど前の開国と明治維新であった。肉食の解禁、西洋・中国の調理法や食材の流入、その影響を受けた新しい日本料理の誕生……。黒船来航とともに、日本食は一気に新しいフィールドに足を踏み入れることとなった。
そして五つ目が、湯木貞一。数百年ののれんを誇る老舗でも創業当時から伝わる料理はほんのひと握り。割烹や料亭、料理旅館などで「伝統の日本料理」として供される、繊細で優美な料理の多くは戦後生まれ。近代日本料理の奇跡「吉兆」と、主人・湯木貞一による日本料理の大改革後に考案されたものなのだ。彼抜きにいまの日本料理はありえない。
こうして日本は世界に類をみない個性的で芸術性に富んだ食文化を獲得し、21世紀、「食とは何か?」という根本に立ち返った世界中の人々から理想的な食として発見されたのである。